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冥王星と魂の望み〔後編〕 / 何をしに来たの、この世へ

JHUAPL / SwRI(前編はこちら)スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる。とは、映画「シン・ゴジラ」の登場人物、赤坂補佐官(演:竹野内豊)の名言ですが、冥王星もまさに『破壊と再生』を表す星です。冥王星の破壊の目的は、腐敗したもの——それは個人の中にあるものも同様——を徹底的に洗い流し、生まれ変わらせてゆくこと。と、私は思っています。 (そして、シン・ゴジラはめっちゃおもしろかったとも思っています。)(余談です。)個人的な体感として、「もう今更、自分を変えるのなんて、無理だよ~」「自分はこういう人間だから仕方がないんだよ〜」そして、 「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないかぁ」といったように、えなりってると、もとい、保身・保守的な生き方・変革への拒否による言い訳を執拗に続けていると、冥王星の打撃を大きく喰らってしまうのでは、という気がします。もちろん冥王星はトランスサタニアン(外惑星)ですから、人智レベルで操作出来る星ではないと思います。ですが、それでも、「このままじゃイヤだ! 変革OK! 自分を変えるぞ!」と思っていると波に乗れるような気がするのです。私自身は、元々、『太陽と天王星のコンジャンクション』を持っていることもあってか、「守りに入った生き方が嫌い。」というところがあります。月はビビリの乙女座だし、太陽本体は不動宮の蠍座なので、方向転換の決定に『時間』はかかるのですが、根っこの考え方としてはそんな感じですので、こういう答えに行き着くのかもしれません。前編の「失職した年」の話に戻ります。この年は、土星・冥王星のトランシットを食らっていた、ハードな年でした。そして、このハードさを読んでいたのは、西洋占星術だけではありませんでした。四柱推命や、気学(詳しくないから「?」だけど)や、0学占い(これも詳しくないけど)とか、とにかくあらゆる占いのランキングで最下位だったという、「大低迷期」でした。ですが、嵐が過ぎ去って気が付けば、そこにあったのは、「大嫌いな職場を捨てることが出来た」「学生時代からの望みだった上京が叶った」「それまで考えられなかった経験をさせてくれる仕事を得ることが出来た」「世界が俄然広がった」という、望んでいた通りの結果たちでした。『トドメ』となった恋愛のあれこれもその後、復縁(って言い方があってるかは解らんけど)しています。(まぁこれはいろいろこの後もごちゃごちゃあるんですが……^^;)低迷期とは、きっと、「運が悪いとき」という意味ではない。たぶん、「冬」なんです。それまでの精算期。登るのではなく、留まるとき。動きたくても、じっと押さえ込まれてエネルギーを蓄えているようなとき。誰だって明るく暖かい春や、過ごしやすい秋が好きだけど、もちろん、厳しい寒さの中に無防備なままでいれば、死んでしまうこともあるけれど、冬がなければ春がこないように、冬は「悪い時間」ではないはず。私にとって、冥王星に枯らされていたときというのは、そんな、冬のような時間だったように思います。そして、その木枯らしのあとには、芽吹きという再生が、ちゃんとやってきました。 *冥王星は、魂の導き手。頭……即ち『思考』でどんなに言い訳をしようとも、魂の部分に、「出来るのであれば、こうしたい」という、本当の望みがあれば、そちらが採用される。そのためには、手段を選ばないというシビアさはあるけれども。じゃあ、なにが魂の本当の望みなのか。それを解き明かしてくれるのが、ネイタルチャート(出生図)なのだと思います。前にも書いたけれど、私は人生の前半戦があんまり楽しくなかったです。もちろん素敵な思い出もあるけれど、基本、精神が苦しかったです。若いうちは煩悩が多いから、とか、理想と現実のギャップが計れていないから、とか、理由を付けようと思えばいくらでも出来るけれど、それでもやっぱり、若者らしい無責任さや、屈託のなさと、ひと一倍縁遠かったことは間違いないです。でも、もしかしたら、その屈託こそが『魂の望み』だったのかもしれない。高校時代の日記に、こんな風に書いていたのを覚えています。——苦しみ、悲しみを知らないで、人の心に寄り添えるだろうか。——苦しさを経験したことのない人に、苦しさを話したいと思う人がいるだろうか。——私は誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい。(……原文ではなんて書いていたか解らないです。日記を開けて探してみましたが、高校生の時の日記なんて、『イタすぎて死にそう〜〜〜!』って過呼吸になるので、限界でした(笑)ですが、大体こんな感じだったのは間違いありません。)屈託なく、楽しく若い時間を過ごすより、苦しみでさえも己の血となり肉となり、いずれ役立つ糧だから、と、私はそれを自ずから求めようとしていたのかもしれない。だから、精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まるんです。         ——『風の谷のナウシカ 7巻』十代で出会ったこの言葉が、当たり前のように心に入ってきたんじゃないかな。心に入るどころか、座右の銘にしていたくらい。それは、自分が描いてきた魂の目的にマッチするものだからだと、私は無意識……魂レベルで知っていたのだと思います。私のネイタルチャートは、先日の日記にも書いたように、土星の力が強く出ているため、あらゆることが『遅くなる』ということが予想される。『協調性』や『責任』の意味を持つ6ハウスに星が多い=自由が苦手『楽しみ』を表す金星がクソ真面目にがんじがらめなどなど、なかなかにマゾっ気の強いチャートです。ですが、金星は8ハウス。本来はなかなかの受けとめ上手のはず。その金星は同時に、「傷と『癒し』」の星キロンとアスペクトを組んでいる。月も金星同様、キロンとトラインで結ばれている。この月は、海王星とのスクエア。すなわち無駄にスポンジ体質の典型。生かし方によっては、大きな共感力を発揮する。……という面も。これはどれも、読み様によっては、高校生時代に思い描いた、「誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい」という理想を叶えるために不可欠な要素となりうるはずです。だからそれを、自分の土台が出来上がる、『人生の前半戦』で体感しようと決めていたんじゃないか。土星が強いチャートである以上、前半戦を楽しくスピーディに進めることを“意図”していないのは明らかです。そもそも、楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重みを持つ星が並んでいるのですから。*——何をしに来たの、この世へ。これらは、占星術や冥王星を知る前から、度々私が抱き、繰り返し書いてきた思いです。たぶん今後も、何度だって口にするでしょう。——何をしに来たの、この世へ。——ああそうだ、生きにきたのだろう。「この世に生まれてきた理由」は、全方位から認められる幸せや、成功を手に入れるため、ではない。魂を乗せて運ぶ、この体がなければ知り得ないことを、余すところなく味わうため。そうしてあの世に還る時、たくさんの『おみやげ』をもっていくため。生まれる前に、“自分で”魂に刻んだ目的を果たすため―――。楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重い星が並ぶ、私のネイタルチャート。時間をかけて努力することを学ばせる『土星』、壊したり組み直したりしながら魂の目的に気付かせる『冥王星』、そしてその後ろ、ハウスの出口に近い場所に、甘やかすように『木星』が待っています。これまでのトランシットも大方、その流れでやってきました。土星、冥王星の洗礼を受けた後に、なだめ、癒すかのように木星が通っていったのです。「精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まる」というナウシカの言葉に何度頷いたか知れないけれど、人生は、それ“だけ”では、片手落ち。もう一つ、取りこぼしている命の真実がある。――この世で体感出来るのは、苦悩だけではない。喜びも、朗らかな温かさも、命を、体を貰ったからこそ、味わえるもの。苦悩、懊悩の果てにそれを手に入れようと決めていたのなら、喜びを手に入れることもまた、魂の目的であるはず。悩み、自らを責め、間違わずに生きようとした日々は長過ぎて、それが自分にとっての当たり前になってしまっていたとしても、繰り返して言おう。私は、自分の土台を作り上げる人生の前半戦で、暗く深い学びを得ようと決めていた。後半戦で味わう、人生の、もう一つの側面を、より鮮やかで輝くものにするために。……言われてみれば、私、ケーキの苺は最後に食べる派なんです。(おわり)---関連リンク

冥王星と魂の望み〔前編〕 / 破壊の実例

NASA/JHUAPL/SwRIここしばらく、「自分ちの近くに戦闘機がやってきて、防空壕に隠れる」だの、「脱走兵をかくまっていたら、巻き込まれて爆死した」だの、「核爆弾が紫色の閃光を放って、死を悟った」だの、とにかくえらく物騒な夢を続けて見ています。なぜか、「台所が爆発した」なんていうのも。今現在、死んだのは2回。台所の時は無事だった。「死ぬ夢を見るときは生まれ変わるときだ」、なんていいますけど、それにしても死に方が穏当じゃないじゃないですか。というわけで、この夢が示すのは、「現状を打破=爆破したい」という思いかな? と解釈しています。とりあえず予知夢や、世情への不安の現れじゃないことを祈る。まぁ今のところ、目が覚めて、「怖かった~」という思いは、あまり無いですし。「生まれ変わり」をあらわす星は、なんといっても、太陽系最強の『冥王星閣下』ですね。冥王星は、「死と再生」の星。乗り物に例えれば「戦車」とか「ブルドーザー」だそうで、普段使いはしないけれど、いざというときにハイパーで容赦ない働きをする星です。ですので、冥王星がトランシットしている(自分に影響を与えている)時のことって、大概、「ひどい目にあった」とか、「苦労の最中にあった」なんて聞きますし、今で言えば、牡羊座・蟹座・天秤座・山羊座に星が多い方々は、大変革期を迎えていらっしゃるかもしれませんね。土星も山羊座入りしましたし。私の人生で最も冥王星を食らってた実感があるのは、幾度か書いていますがやっぱり、『上京を決めた頃』でした。 ざっと説明しますと、まず、当時勤めていた会社で、大問題が発生しました。会社全体で、大きなミスをやらかしたのです。そもそも、そのミスというのは、会社が社員の相談もなしに取り入れた『新システム』が原因。そのシステム導入があまりにも大きい改悪だったため、社員の仕事量はおよそ5倍に膨れ上がっていました。よって、深夜残業をしても仕事が終わらず、家に持ち帰って仕事をしたり、休日出勤したりした人も多数いる状況になり、そうするうちに、社員がどんどん疲れ果て、その結果の暴発。四方に謝罪をしないといけなくなりました。社員はそのとき、正直期待しました。「これで社長は、今度こそあのシステムを見直してくれるに違いない」と。ですが、社長は、急遽、社員の年末の休みを取り上げたのみならず、「社員の賞与を全カットとし、そのお金でお客様ひとりひとりに、ボールペンをお配りし、謝罪しよう!」などと、面白いことを言い始めたのでした。笑いの取り方がよく解っていらっしゃると思います。賞与といいましても、それは『残業代の別名』だったことも忘れてはいけません。(そのことは後ほど、専務から直に明かされます)けれど、残念だったのは、せっかくの一世一代の大ジョークを、社長自らが告げず、代わりに専務に言わせるという、もったいないことを仕出かしたことでしょうか。専務がその決定を社員に告げている間、弁当の箸を洗いに、そそくさと給湯室に早足に駆け込んでいった社長のみっともない背中は、今も忘れられないです。自身もミスをやらかした内のひとりだった課長(例の少女Aの作者)は、影でオンオンでかい声で泣き、洗脳されていた、私たちヒラは目を覚まし、「このままじゃダメだ」と立ち上がる準備を始めました。奇しくもそんな中、『日直当番』が私に回ってきました。日直には翌朝、日誌を社長室へ持っていくという役割があります。そこで私は日誌に、こう書きました。――新システムは導入後一年経とうとする今も安定せず、業務に大きな支障をもたらしています。――今後に向けて、全員参加の会議を行ってください。「じゃあ、どうしたらいいと思うかね?」『どうせ大した策も無いのに、未熟な若いヤツが文句を言っているだけだろう』と、高をくくっていたであろう社長の横柄な問いかけに、「新システムを廃止しましょう」思いのほか、私がはっきりと答えたため、そこから2時間、社長室で論戦となりました。論戦とは言っても、問われたことに坦々と答え続けただけ。食って掛かったわけでも、声を荒らげたわけでも、まして打ち負かそうとしたわけでもありません。ですが、社長にしてみればおそらく、初めて『正面から意見してきた』社員の存在に怯えたのでしょう。結果、全体会議を行うことにはなったのですが、「意見がある人は資料を出すように。」という課長からの指示に忠実に従い、ヒラ数名で作成して提出した「業務改善案」が、結果的に「血判状」のように取られ、作成者は「謝罪文を書くか、あるいは退職するか」を迫られたのでした。今考えれば、会社の対応は普通に法に問うことが出来るでしょう。今であれば、ネットで炎上さわぎを起こすことも可能だったかもしれません。(出来てもしないけどさ!)ですが、当時(といっても、ほんの5年前ですが)はまだ、「多少はガマンすべし」という考えがまかり通っていました。私は、『魂を汚すことは出来ない』という思いだけは揺らがなかったので、謝罪文は当然ながら拒否し、後輩のひとりとともに会社を去ったわけですが、知人や家族には、「社長を追い詰めたのか」とか、「社会で生きていくには仕方ないこともあるだろうに」とか、「君は気が強い」などなど、否定的な言葉を次々と浴びせられ、正直、会社を辞めたことよりも、それらの発言に傷つけられ、苦しんでいました。唯一の救いは、地元の大手銀行で総務担当を経験していた叔父の、「がむしゃらに働けばいい、という考えはもう過去のもの」「ワークライフバランスを重視する時代に入っている」「社内コミュニケーションを下から取ろうとするのはそもそも無理。上から降りてくるべきだ」といった言葉でした。あれがなければ死んでたと思う。そうして無職になり、次の仕事を考えないといけなくなりました。しかし私には、どうしても、再び『鹿児島で働く』というビジョンが見えませんでした。頭の中にはいつも、「東京に出た方がいい」という言葉が響いていました。しかしそうは言っても、東京で何をしたらいいのか解らない。都会に憧れている思いや、足がかりにしようと思える当ても、別にない。あるのは、「なんとなく、でも、どうしても東京。」……いや、それ以前に、「もう、ここにいてはダメ。」その漠然とした、けれども拭えない思いだけ。かつて上京して逃げ帰ってきた身内の存在もあって、こんなふわっとして馬鹿げたビジョンに従う勇気はなかなか湧かず、直観と恐怖の間で揺れ動く一年を、実家で惨めに、悶々と過ごしました。もたもたしている私に、とどめをさしてくれたのは、『恋愛』でした。この苦悩の一年の間に、恋愛面でもこじれた私は、ほっぺたがカピカピになるくらい泣き続け、何もかもなくしたような捨て鉢な気持ちになり、「ああ……もう、出るしかないな」と、鹿児島を押し出されたのでした。* * *これが冥王星の「本質に逆らう生き方を更地に戻す」ということだと、今になってよく解ります。私はこの会社にいる間、辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。それは残業がひどかったこともあるけれど、社員が子どもたちの勉強の成果をデータで区別し、「しょぼいヤツ」「意識高いヤツ」と心ない言葉で表していたこと……社内で、今で言うパワハラ発言が多数飛び交っていたこと……それらの何もかもがイヤだったし、そもそも、「全然、やりたい仕事じゃなかった」から。けれど、それこそ、「生きていくためには、ガマンせねば。」といった『常識的思考』によれば、ここにいることは『正解』とされるわけで、私は魂を蝕まれるような気持ちでいながらも、ただただマジメに黙々と働いていました。ですが。常識は所詮、その時代にあわせて人間が作り上げた、その時代専用の枠組み。「魂の真実」ではありません。そのガマンがどんなに、その時の世間的には真っ当とされる生き方だったり、時間をかけて作った立ち場であっても、冥王星にしてみれば、知ったこっちゃない話。「それはお前の、魂の望みか?」冥王星に問われるのは、ただ、それだけ。そしてその答えが『No』であれば、どんなに、「でも」や「だって」で防御したって、冥王星は黙ってブルドーザーを発動するのみ。冥王「本心では変わらねば、と思っているのだろう?」エゴ「う……でも、捨てたら捨てたでリスクが……。普通に考えたら現実味が……」冥王「わしは思考に聞いているんじゃない。魂に聞いておる。」ズガガガガガガ!!!ゆえに、冥王星が効いているときは、一見すればひどい目にあったりもするのでしょうが、きっとそれはすべて、「本来歩むべき道へ導くため」。そこに「情け」や「容赦」はないけれど、それが冥王星のハートマークがあらわす「愛」なんだと思っています。(後編へつづく)--関連リンクこの頃のトランシットについては、こちらをご参照ください

風にそよぐアンテナで

少し前に、「HSP(Highly Sensitive Person)」、即ち「敏感すぎる人」というのが流行りましたが(今も流行ってる?)これに言及するブログ等の中でよく見かけた、「HSPは心優しい」「非HSPの人たちには解らないでしょうけど」という書きっぷりの数々が、私はどうにも受けつけませんでした。研究が本来の意図しない、受け手に都合のいい使われ方をしていたのか、あるいは、研究自体が未熟なのかもしれません。HSPは、着眼点自体は面白いですが、定義が曖昧で、アダルトチルドレン* との区別もいまいち出来ていないのが現状のように思います。(* アダルトチルドレン:機能不全家族で育ったため、成人後も心理的に苦しさを感じる人のこと。「子どものような大人」という意味ではない。)敏感すぎるということは、些細な刺激が、人の何倍も痛く感じられてしまうということ。となると、実際は、まずはなにを差し置いても自分のケア、つまり、「自分のことでいっぱいいっぱい」になってしまいがちだと思います。ですので、敏感な人が『そのまま』優しい人になるのは、実はなかなか難しいと思う。「他人の気持ちに寄り添える」という意味の優しさは、己の感じやすさと向き合い、『ある程度の修行』を経た上で、ようやく手に入れられるもののはずだから。……というのは、これまでのエッセイなどで、時折書いてきた話でもあります。*最近は、ツイッターで漫画を公開する方も増えましたね。「夜廻り猫」も元々ツイッター漫画だったし。コミックスほしいなぁ。そんな中、つい先日も、ある作品が話題になっていたようです。この漫画、あらすじをざっと書くと、友達から久しぶりに電話がかかってきて、流されるまま、一緒に映画に行く約束をした主人公。日曜はやることがあったけど、その映画にも興味があまりなかったけど、人に合わせるのは大切だし、飼っているカメレオンに、「君も周りの模様に合わせるもんね。生きていくには必要だよね」と、話しかける。すると、そのカメレオンが、「不必要なときまで自分を偽ると、自分の色が分からなくなる」というメッセージをくれる。それを聞いて主人公は翌日、「映画のことだよね。うん、今回はいいや、また別のときに誘って」と、言うことが出来た……というもの。しかし私、これを読んで、な~~~んか釈然としなかったんです。云わんとすることはよく分かる。断る決意をしたところまでは、頑張ったよね~と思う。何より、顔色を伺うような付き合い方をするくらいなら思っていることを伝えた方がいいよね。けども、この全4ページから読み取れる限りで言えば、相手から(おそらく詳細を詰めるためであろう)電話がかかってきてから、「今回はいいや、また誘って」……って、いやいや、あなた、ちょっと待ちなはれ。それはいくらなんでも失礼ちゃうか。例えば、この友達がYah●●知恵袋に投稿したとしたら、「久しぶりに会いたくなった友達を映画に誘いました。最初はOKしてくれたのですが、時間を決めようと後日電話すると、『今回はいいや、また誘って』と断られてしまいました。私としては、なぜ断られたのか、理由も解らないし、本当は迷惑だったのかな?と悲しくなりました。優しくていい子なのですが、なんだかもやもやします……。」<ベストアンサー>ご友人には事情があったのかもしれませんが、やはり言葉足らずは否めません。ご友人の方からきちんと連絡して、理由を説明するか、あるいは埋め合わせの日程を提示するなど、してほしいですよね。こうした失礼なことが続くのであれば、距離を置いてもいいのでは?とでもなるんじゃなかろうかOo。.(´-`)この漫画に対しても、「断られた子がかわいそう」という意見も一定数あったそうですが、一方でやはり、「わかる~」「自分が疲れちゃうよね~」「日本人って、こういう人が多いと思う~」などの感想も多かったようで、私は、この話にさして疑問を持たずに共感しちゃう、人に合わせて疲れることを自覚しているであろう子達に、「親しき仲にも礼儀あり、だぞ」と思ってしまったのであります。*この数年、「まず自分を大切にする」「ありのまま」というのが流行っていますし、それ自体は、私自身も心がけるようにしていることです。変に自分を押さえ込んだり、嫌われないように空気を読んだりしても苦しいだけだし、相手に対しても誠実じゃない。何より、自分を大切にした方が、受け容れられることも増えるわけだし。……というのは、これまで私も、幾度かここで書いてきました。けれど、新しい常識や考え方に移行するとき……即ち「変革のとき」は、そういうものなのだろうけれど、この、「まず自分を大切にする」の推進運動、ちょっと暴走してるんじゃないかなぁ~というか、解釈がずれてるものがあるんじゃないかなぁ~という印象を受けることがあります。それは、これまでの日本が、「空気」や「協調性」を過度に重んじてきたその反動ともいえるかもしれませんが、とどのつまり、対人関係の一番の基本である、『礼』を欠くようなことまで肯定されてはいまいか?それをしてしまうと、切れなくてよかったはずの縁まで切れてしまうじゃないか? と思うことがあるのです。……なんて厳しめに見てしまうのは、漫画と同じような、「人付き合いに疲れる」と嘆いていた友人たちとの関係がダメになった経験を私が持っているからか。共感をあまりに強く求められすぎているように感じたこと、そして、様々な積み重ねにより、「私はあまり、大切に思われてはいないわな」と気が付いたことで、もういいか、とお別れに踏み切ったから。まぁ、実際は、その前に既に、互いに心が離れていたのかもしれないけれど。*己の心の状態をどこまで優先するか。その問いヘの答えを考えたとき、描かれている状況は異なりますが、かつて、ライターの雨宮まみさんが仰っていたことを思い出します。一晩中心配していた側からすると「もう大丈夫」では納得できないものがあるでしょう。 「ありがとう。心配かけてごめんね」という、感謝や謝罪がないと、心配して損したと感じられます。 感謝や謝罪ができないことに対しては「メンタルが弱いから」は理由になりません。 私もこれで何度か大事な人間関係を台無しにしてきました。学習すればいいのに、うまくできません。 自分にとって「甘える」というのは弱音を吐くことですが、それをこういう形でしてしまうと関係が壊れる、というのでは、親しい人、恋人を作ることはできません。 (中略) 他人に嫌われることを恐れなくてもいいし、嫌われることを回避するために自分の行動を規制する必要はありません。ただ、人の好意にもっと敏感になってください。——雨宮まみ『穴の底でお待ちしています』より話は最初に戻りますが、「HSP」を自称するような繊細さの自覚に対して、私はもしかしたら、必要以上に寛容じゃないことを言ってるんだろうな、と思います。心理学の世界には、「相手に対し、不快に感じる部分は、本来自分が持ってる要素である。」という、「投影の法則」なるものがあります。つまり、この論理で言えば、過敏で他人を振り回すという素質は、私自身が多分に持っているもの、ということ。実際、(未熟な研究と思うとはいえ、)HSP診断で私は高確率で陽性と出るし、こうした部分を自ら嫌悪し、散々バトルをしてきた実感はあるし、そもそも、他人の敏感主張に対して“敏感に”反応するのは、「強い子が良い子」という刷り込まれた理想が、自分の本質と大きくかけ離れているために苦しかったこと、苦しいのに、そういう自分でいようとしたこと、そして、身近な人に敏感さを盾に取られ、「あなたは強いから、」と弱音を封じられてしまったこと……それが原因だろうな……と、自分で察しもついています。「投影」は、己が己のその部分を受けいれてしまえば、不快にはならないのだといいます。ですので、まず、自身が過敏症なことを許してあげれば、いえ、それ以前に、「自分はがんばってきたよね」と受け容れてあげれば、不快さはなくなるのかもしれない……ということでしょうか。過敏で、めんどくさくて、振り回されやすいメンタル。「それが、わたし。」「そんな私なりにがんばったぞ」ってやつ。けれど、「過敏で、めんどくさくて、振り回されやすいメンタルの、“私を受けいれて!”」となってしまえば、話は別だと思うし、やっぱりどれだけ自分を優先したとしても、同時に『相手の立場を思いやる』こと、『感謝すること』の大切さも変わらないんじゃないかな。大事なのは、「嫌われないようにすること」ではなく、「人の好意を大切にすること」だと思います。雨宮さんのこの言葉に、すべて集約されているように感じます。相手のことを、自分を疲弊させたり、傷つけたりする存在だという悪意前提で見るような、そんな臆病さは欲しくない。同じ敏感なアンテナでも、向きを変えて、好意や愛情をキャッチできるようになれば、「他人の気持ちに寄り添える」という意味の優しさをきっと発揮できるようになると思うんだ。わずかなそよ風にもしなやかに葉を揺らし、繊細に煌めく美しさを持ちながら、吹き荒ぶ風にも倒されることなく、堂々と大地に根を張りながら立つ木々のように。打てば容易に震える魂と、力強く生きていく生命力の両立。そして、自分がどこで生きているのか……どこで『生かされているのか』を忘れないこと。これが、今のところの私が抱く、理想であり、結論です。---<参考リンク>

あなたは強いから、なんて言わないで

昨日、うちの、緑色の子たちの写真を載せてから、なんとなく、それぞれの育て方をちゃんと調べ直してみました。今までは、どれも、大体の顔色を見ながら育ててたのです。土が乾いてるから水がいるかな~、とか、葉が黄色くなってるから日光当てすぎかな、影に置こう~、とか。まあ、それ自体はいいとしても、やっぱりちょっと調べが足りなかったらしい。育て方を改めておさらいした中で、『元気を装いながら、耐えていた子』がいたことが解りました。その名は「ガジュマル」。気根もぐんぐん伸びてるし、新芽も出てる。よしよし、よく育ってるぞ~なんて、油断していたのですが、なんか葉焼けが気になるのよね、と調べてるうちに、幹のしわしわは老化じゃない、水不足だったのだ、ということが判明。プリケツも年取っちゃってババケツになったのかな~とか言ってて本当にごめんね。今日から私と一緒にお肌に水分補給しようね。大丈夫だよ、まだ手遅れじゃないよ、お互い_:(´ཀ`」∠):アイビーも日が強すぎたみたい。ちょっと影に移動しました。油断して、適当に扱っているうちに、結構傷つけていたんだなぁ。大切にしてあげられてなかったなぁ。大丈夫そう、とか、少しのことくらい平気そう、なんて、勝手に決められると、悲しくなるのは、人も植物も、一緒かもしれない。あなたは強いから、なんて言わないで。強くいようとして、がんばってるんだから、と。

6ハウス太陽の主人公

昨日は地上波で初めて実写版『銀魂』を放送するというから、結構楽しみにしていたんですけど、いざ見てみたら、「あれぇ~?」でした。私は、「一時はコミックス集めていたけど、弟も集めてたから自分のは売っちゃって、上京後はレンタルで読んでいる。もちろん最終回まではちゃんと追うわよ」くらいの『銀魂好きレベル』ですので、ファンの人ほど語れるわけじゃないですけど、それでも、お妙さんは『上品なのに』、キレるとゴリラになるところがいいんだよ、普通モードでガラ悪い訳じゃないんだよ〜!とか、源外のキャラクターぶち壊してまでムロくん出す必要あるかなあ???あの源外は息子のエピソード背負っとらんやろ。とか、カメラワークの緊迫感がない……登場人物が棒立ちやん……。とか、土方はきっとそんなあっさり万事屋を置いていかないよ~!とか、そもそも、原作の笑いのセンスが秀逸なんだから、そこに福田カラーのギャグをごり押して混ぜてこないで!笑いがけんかしてるから!そこはちゃんと原作に敬意払って!っていうかごり押して来た方のギャグが寒くて負けてるから!原作に任せてていいから!!!とか、つうか、銀魂はそんなぶっ飛んだギャグ漫画を装いながら、実は人間愛に溢れてるところがいいんだよ。笑いを無理に押し込んで、いいところをぶつ切りにしないで!銀さんのキャラクターちゃんと理解しろや!……などなど、いろいろ『文句たれ蔵』状態でした。空知先生の映画に対するコメントで爆笑したから応援したかったんだけども。キャストは良かったんだけども。人気俳優たちが全力でコスプレしてくれた豪華企画だったんだ、と思うことにした。*さて、話は一旦飛びますが、先日、「高校生のときに『封神演義』が大好きだった。」という話を書きました。「封神演義」をやってた頃のジャンプは、ちょうど、「ナルト」とか「ワンピース」などが登場してきた頃でしたが(年ばれるな~)、今も人気のそれら(ナルトは終わったけど)じゃなくて、私は、封神が、っていうか太公望がとにかく好きでした。そして、封神演義が終わって数年後、「銀魂」を読み始めたとき、「私はホント、この類の主人公が好きだな~」と思いました。銀さんとか、太公望とか、それから「タッチ」のタッちゃんも。みんな、思いやりが深くて、自分を後回しにしちゃうんだけど、そんなカッコいいところをふざけてごまかす性格。そして、彼らが何のために戦ってるかと言えば、銀さんは、困っている人のため、タッちゃんは、亡き双子の弟の残した夢を繋ぐため、太公望は、民が苦しまないで暮らせる世の中を作るため。そう、みんな、世のため人のため大事な何かのために戦っておられます。実に素敵です。そしてもう一つ。この3つの作品、いずれも、『悪でしかない悪役』がいないところが好きです。『敵』はいるんだけど、基本、みんな最後に救いがあったり、悪になる背景が描かれていたり、キャラクターが憎めなかったりする。実に素敵です。*さて、ようやく今日のタイトルに戻ります。「6ハウス太陽の主人公」。私の出生図の「太陽」は、6ハウス、蠍座にあります。(下の図の赤い矢印が太陽)

スピリチュアルとのつきあい

28日間のスピリチュアルレッスンを終えました。今回のレッスンでは、毎日の課題……例えば、「ゴミを捨てる」とか、「怖いと思ってることをやってみる」とか、いろいろあるのですけど、それらよりも何より、2日目の課題「今日からの27日間、毎日出来ることをやり遂げる」として誓った、「毎日ブログを書く」これによる成果がでかかったです。ニャン写真とか、過去の漫画とかでごまかした日もありますけど、とにかく毎日、何かしらブログ動かすことで、解ったのは、やれば、できる。でした。度々書いているように、この1、2年、やる気が枯らされて、毎日、ただ、「何かやらねば……やらねば……」とあがくだけで本当に苦しかったのですが、こういうとき、一番助けてくれるのは、本当は、先日も書いたとおり、「土星」なんだなぁと、今回、最高に実感しました。たとえやる気が出なくても、少しだけでも動くことを続けること。土星は『地道にコツコツ』を旨とする、厳しく地味な星ですが、ちょっとずつ、けれどしつこく継続しているうちに、気付けば高いところまで登らせてくれている、そういう星です。レッスン開始のときにも書きましたが、スピリチュアルレッスンは、「スピリチュアル」とある割に、うさんくさくない、心のレッスンです。と言いますか、「スピリチュアル」を私はこの数年で、大分見直しました。正直に暴言を吐きますが、数年前まで私は、スピリチュアルって大半が『インチキ』か、『自分は見えると信じてる勘違いしてる人が盲信してるもの』だと思っていました。確かに今も、「それは、絶対違うヤツやで。」とツッコミを入れたくなるもの、「お花畑だな〜」と薄目で遠巻きに見たくなるものも、あります(ごめんなさい)。けれど一方で、長年、ずっと解決出来なかった『生きづらさ』を解放に導いてくれたのも、スピリチュアルでした。成果主義の物質文化では気付けなかった心の問題に、不思議の世界からのアプローチが大いに役立ってくれました。(もちろん心理学も一端を担ってくれましたが。っていうか、実際、スピリチュアルと心理学は、結構かぶってる世界だということがわかった。)この1、2年は、本当に動けなくて大した成果も出せず、やる気は衰退する一方でしたが、水面下では劇的な変化が起きていたことを実感します。東京に出て来る前の日記を読み返すと、「こんなに自分をいじめなくても苦しめなくてもよかったのにね」と、全く違う目で見ることの出来ている自分に気付きます。占星術的にいえば、魚座を進行中の海王星様が私の月・火星のど真ん前、かつ、金星に60度、かつ、水星に120度を作っています。絶賛、海王星祭りです。海王星は、『幻想』『音楽』『ドラッグ』そして『スピリチュアル』などを扱います。扱いにくい星なので、特に月・火星と180度を作ることについては、いろいろ要注意ですが、こうした不思議の世界に『片足』つっこむという形で、ほどほどに海王星パワーを流していければいいかなぁと思っています。あくまで、節度あるレベルで。暴走すると怖いのが海王星ですから。本調子ではないとは言え、とりあえず、こうして『書くこと』の世界には大分帰って来れたから、次なる目標は「絵を描ける自分を取り戻す」。絵もまた、海王星の管轄ですからね。(私の絵の場合は、金星っぽいけど……)

わたしの土星先生

NASA/JPL/Space Science Institute今日は久しぶりに、リマーナすず先生に占星術の鑑定をしてもらいに、保谷まで行ってきました。前から薄々気付いてはいましたが、私のホロスコープ、『土星』が強いんです。占星術でいう土星は、「制限、苦手意識、ブロック」などを表します。以前もお話ししましたが、私はこの土星が恋愛の部屋である『5ハウス』に鎮座しており、かつ、性を表す8ハウスにいる、愛情の星『金星』と90度という葛藤の度数をとっております。品位は高く、『天秤座』(高揚の位置)にあります。金星が山羊座なので、『ミューチュアルレセプション(星座交換)』にもなります。斯様な状態のため、土星だけがえらく点数が高いことが今日、すず先生に表を見せてもらってよく解りました(笑)つまり、「恋愛(5ハウス)」と「性的なこと(8ハウス)」に対しての苦手意識が強いのです。5ハウスは創造や楽しみの部屋でもありますから、遊びを手放しで楽しむ!ということも苦手です。いわば、「クソマジメ」というやつです。このことに関しては、もう、残念ながら実感しかありません。私も手放しで楽しむ、ってことをしてみたいよう。なんでも「ねばならない」に捕われるのはやめたいよう。固くて難しい表情をした土星が、楽しいことをしていたいと言う金星に、いつもああだこうだと口出しをしてくる。私は占星術を知らない友達に、土星の話をするときに、「私の土星は、女子バレー部の顧問みたいなもんかなぁ」と話します。金星が、遊び盛りでキャピキャピした女子バレー部員だとしたら、そこに鬼コーチの土星が「しゃべってないで練習しろ!」ってやってくるんです。そんなイメージです。土星先生がこんなにうるさいから、みんながするっと開いた扉の前で、いちいち悩んで立ち止まって、みんなが越えたり、あるいは抱えなかったコンプレックスにしつこく捕われて、みんながするっと登ったはずの階段に、ぶつかって跳ね返されて、転がり落ちてまた登って、おかげで、扉を開く鍵のありかを必死で探し求めなければならなかった。おかげで、自分とどかんと向き合って、必死で問題を解かなきゃならなかった。おかげで、転んで擦りむいた傷の痛みを知って、癒し方を考えなくちゃいけなかった。土星先生がこんなにパワフルだから、そのおかげで、私は、恋や、愛や、自分の魅せ方や繋がることについて、たくさん、たくさん学ぼうとしたんだわ……。NHKの朝ドラ「ちりとてちん」の主人公の喜代美は、不器用でいつもすってんころりん。落語もなかなか上達しません。そんな彼女に、師匠はこんな風に語ります。「不器用なもんほど、ぎょうさん稽古する。ぎょうさん稽古したもんは、誰よりも上手(うま)なる」土星がある場所に、人は苦手意識を持ちます。土星がある場所の示すことは、いろいろと遅くなりがちです。けれど、土星は生涯かけて克服していくテーマでもある。そして、苦手だからこそ、どうにかしたくて、取っ組み合いをしているうちに、土星のテーマのエキスパートになることが出来るのだそうです。そして、誰のホロスコープにも、土星はあるのです。土星が表す「制限、苦手意識、ブロック」は、言い換えれば、「土台、形作ること、粘り強さ」でもあります。楽しいだけの女子バレー部では、全国大会には行けません。鬼コーチがいてこそ、初めて夢が現実に変わろうとするのです。もし、私がこんなに恋愛に不器用でなければ、知らなかった世界がある。もし、私がこんなに一体感に苦手意識を持っていなければ、学べなかった世界がある。「どうして私の人生は各駅停車なんだろう。みんな特急に乗ってどんどん行っちゃうのに!」何もかもが人よりずっと遅れてる、そう嘆いた私に、大学の後輩がこう言いました。「でも、いいですか先輩、僕、今からいいことを言いますよ。各駅停車で行くということは、特急では見られない景色を見られるということです!ほら、いいこと言った!」冗談めかして言っていたけれど、その言葉を聞いて一年以上経った今日も、彼の言葉は、鮮やかに私の中で響いてる。それは、たぶん、それが人生の真実だったから。人生は、ただ成功だけするためにあるのではなく、きっと、『味わうため』にあるのではないだろうか。それを土星ほど教えてくれる星はないのかもしれません。死と再生を表す、太陽系最強の星『冥王星』に、がつんと上に乗られて、大変革を強いられた私の金星は、山羊座15度にいます。これにスクエアをかける土星は天秤座19度ですから、金星の上からずれてきた冥王星は、次は土星にスクエアをかけてきます。「土星が冥王星に影響を受ける分、金星は土星の支配から解放される可能性がある」と、すず先生。遊びたい盛りの娘のような金星を押さえつけていた、厳しい親父さんのような土星は、冥王星による『変容』を遂げた娘の成長を、少し離れて見守ってくれるターンに入ったと、とりあえずはそういう解釈でいってみるのもいいかもしれない。また同時に、土星自体も、変革をせざるを得ないときに来ているのでしょう。スクエアは『葛藤』を意味しますが、そう言われれば、すでに始まっているような気がします。「ねばならない」といった条件づけへの疑問。度の過ぎた真面目さ潔癖さは、もういい。そんな風に土台を覆される思い。自分が知る以外にも世界があるのだという、自分の中の常識の破壊。変革は、『殺すため』にあるのではない。『新しく生きる』ために来るのだと思います。なんだって敵視してしまえば、仲良くはなれない。それは星……すなわち、自分の中のエネルギーや能力も同じでしょう。痛みや苦しみは確かにあるかもしれないけれど、それもまた人生、そして私の命にプログラムされた必要な過程だと受け容れていけばいい。そうすれば、「それ」がなぜ起きるのか、なぜ、こんな土星を抱えて生まれてきたのか、その本当の意味に、気付いてゆけるような気がします。* * *今日が、スピリチュアルレッスンの最終日でした。「27日間、毎日ブログを書く」という課題、これで達成です!自分に対して誓いを立てる。そしてそれを守ること。そうして、自分を信じることに繋がるという意味を持つ課題でした。コツコツ何かを続ける。これもまた土星のテーマですね。日記を書くときは、かならずBGMを必要としますが、今日は久しぶりにBUMP OF CHICKENでした!