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2017太陽回帰のおさらい〔前編〕:各天体の検証

10月に友だちの家に遊びに行った際にお目にかかった、インコのスーさん。こんなに可愛いのに、めっちゃ凶暴です(笑)どれくらいかというと、しっぽをちょこっと触るだけで「ジジジッ!」とキレられるくらい。でも私はナウシカ生活を10年以上送った人間。キレつつも、スーさんは肩に結構長く滞在してくれました。(※ナウシカ生活……常に動物が肩に乗っているという生活)スーさん、身体的特徴から言えばメス……なんだけど、ど~~~も、求愛ダンスしてたみたいで……(友だちは、「オラオラダンス」と呼んでいた)、あと、「スーチャン カバイイ ウジョジョ」と、若干しゃべっていらっしゃった。メスもしゃべることはあるらしいけど、本来、オスのほうがおしゃべりは得意なはず……。まあ、うちのダンくんも、メスのチビ母さんより、オスの親分の方が断然好きだし、「生き物は異性を求める」とか、「心と体の性は一致する」というのは案外、「たまたま、多くがそう」ってだけで、何事でもそうであるように、「そうじゃない場合も、ある」のは、アタリマエやんね、と思います。まあ、スーさんの場合はただ「やんのか、オラ(#゚Д゚)」って言ってるスケバン女子かもしれませんが(笑)*今日は、2017年の太陽回帰図のおさらい。太陽回帰図とは、『出生図の太陽と、全く同じ度数のところに太陽が来たときのホロスコープ』のことで、それによって一年の運勢を占うということが出来るというものです。というわけで、回帰図も刷新されたことですし、この一年のおさらいをしてみたいと思います。昨年の太陽回帰図が、これ↓

復帰戦:文学フリマのお礼

上記は、原稿作成中の、荒ぶる私のTwitterです。制作活動中は、これが通常運転なんです。が、現在のアカウントは、私の創作時の様子を知らない方々がフォローしてくださってるので、かなり戸惑われた(っていうか引かれた)んじゃないか、心配です。改めまして、11月25日(日)、『第27回文学フリマ東京』、ブースにお立ち寄りくださったみなさま、そして本をお買い上げくださったみなさま、本当にありがとうございました。文フリ参加自体は1年ぶり、そして、純然たる新刊は、実は、3年ぶりでした。(イラスト集とか、無料配布の片付け漫画は作っていたけど)自分で振り返ってみて、そんなに本出してなかったか!?と、ビックリしました。それだけ、スランプが重症だったことを実感させられます。前回……つまり一年前は、新刊はないとは言え、在庫は持ってきてたし、ブースの見栄えも大して変わらないはずなのに、やはり纏う空気や、やる気というのは、何となく伝わるものなのでしょう、ぶっちゃけて言うと、そのときは全然売れなかったし、ブースに来る方もいなかったです(笑)が、今回は、まさに復帰戦、という感じ。久しぶりにお会い出来た方もいっぱいいたし、ブースのにぎわいも、3年前の、頑張って作れていた頃に並びました。例え30ページそこそことはいえ、漫画を描くというのは、まぁ〜なかなかエネルギーが要る作業。私自身は漫画家向きではないと思いますが、「漫画」という、濃いメディアを一つどんっと生むことが出来た、そのことが「復活」の実感をより強くしてくれました。たびたび書いていますが、このスランプは、本当〜〜〜に、辛かったです。星の動きについてをかじってるだけに、「これはそのうち抜ける、これは今だけだ」と、解ってはいる、解ってはいるけれど、時間だけはどんどん経つわけで、焦る心は止められない。以前も書きましたが、こういうとき、助けてくれるのは、土星だな、と思います。つまり、「コツコツ、地味にやる」という姿勢です。まずはブログを毎日書く、ということを課し、続いて、漫画の〆切に向かって持久走をせざるを得なくした。それは、それなりにキツイことではあるけれど、坦々と走っているうちに体が温まってきて、ペースを取り戻していたように思います。

「パウエル」が追ってくる

「イキリ」が何か解らない東の方は、NON STYLEの漫才で意味をお調べください。ということは、今日のノインゼ兄さんのポジションはイノエルか。でも、どっちかって言ったら、ノインゼがボケで、ルナがツッコミだと思う。*最近、「パウエル」という名前に囲まれています。事の起こりは、上で書いた、「NON STYLE」です。ここしばらく、彼らにドハマリしているので、その日も私は動画を漁っていました。その中に、「野球」という漫才がありました。石田「4番 サード パウエル」井上「イノウエや!」っていうあれ。私はゲラゲラ笑っておりました。特に「はつお—————ん!!!」のところの井上は可愛いと思います。このとき私は、まだ、これが、「パウエルが追いかけてくる日々の始まり」だとは予想だにしていませんでした。翌日。私は電車の中で、梨木香歩さんの小説「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読んでいました。その中に、「ボーイスカウトはもともとイギリスの軍人、ロバート・ベーデン=パウエルが言い出したことなんだ」という台詞がありました。私は「……またパウエル出てきよった。変な偶然だな。」と思いました。同日。職場で回ってきた広報誌の表紙に、「ショーペンハウエル」とありました。私は、「○が足りないけど、なんか仲間みたいなのが登場しよった……」と、次第に忍び寄るパウエルの足音を、ちゃんと意識するようになって来ました。その数日後、すなわち先週末。私は神奈川に住む小学校の頃からの友人宅に、泊まりに行きました。友人がご飯の支度をしてくれている間、テーブルの上に置いてあった新聞を読んでいました。「米国 国連大使後任 パウエル氏辞退」という記事が目に入りました。私は「……またパウエル……」それ以上何も言えませんでした。その翌日は、箱根に連れてってもらうことになっていました。友人の持っていた箱根ガイド本をぱらぱらと見ていると、「箱根パウエル」というホテルの紹介が載っていました。私は「パウエ—————ル!!!」と、心の中でノンスタ石田さんばりに叫びました。「行きたいところ、決まった~?」お風呂から出てきて、朗らかに尋ねる友人に、私は恐る恐る、最近の連続パウエルの話をしました。私「Aちゃん(※友人)……最近、かくかくしかじかで、パウエルに囲まれてるんだけど……」友「……出会っちゃうんじゃない……? パウエルに……」私「……出会うのかな……」*このように、パウエルに取り囲まれているので、とりあえず、「パウエル」の意味を調べてみました。【語源】「Howellの息子」の意。また、Paulの変化形。(英辞郎:アルク)だそうです。また、「Howell」は、「太陽」とか、「高貴な」とかって意味だとか。(wikiより)ウェールズ起源の名前だそうです。というわけで、今後も、まだパウエルがやってくるか、経過観察中です。なお、上の由来にならえば、今日の絵も、ある意味で、パウエルです。今日は、ただこれだけの日記です。オチはありません。

冥王星と魂の望み〔後編〕 / 何をしに来たの、この世へ

JHUAPL / SwRI(前編はこちら)スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる。とは、映画「シン・ゴジラ」の登場人物、赤坂補佐官(演:竹野内豊)の名言ですが、冥王星もまさに『破壊と再生』を表す星です。冥王星の破壊の目的は、腐敗したもの——それは個人の中にあるものも同様——を徹底的に洗い流し、生まれ変わらせてゆくこと。と、私は思っています。 (そして、シン・ゴジラはめっちゃおもしろかったとも思っています。)(余談です。)個人的な体感として、「もう今更、自分を変えるのなんて、無理だよ~」「自分はこういう人間だから仕方がないんだよ〜」そして、 「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないかぁ」といったように、えなりってると、もとい、保身・保守的な生き方・変革への拒否による言い訳を執拗に続けていると、冥王星の打撃を大きく喰らってしまうのでは、という気がします。もちろん冥王星はトランスサタニアン(外惑星)ですから、人智レベルで操作出来る星ではないと思います。ですが、それでも、「このままじゃイヤだ! 変革OK! 自分を変えるぞ!」と思っていると波に乗れるような気がするのです。私自身は、元々、『太陽と天王星のコンジャンクション』を持っていることもあってか、「守りに入った生き方が嫌い。」というところがあります。月はビビリの乙女座だし、太陽本体は不動宮の蠍座なので、方向転換の決定に『時間』はかかるのですが、根っこの考え方としてはそんな感じですので、こういう答えに行き着くのかもしれません。前編の「失職した年」の話に戻ります。この年は、土星・冥王星のトランシットを食らっていた、ハードな年でした。そして、このハードさを読んでいたのは、西洋占星術だけではありませんでした。四柱推命や、気学(詳しくないから「?」だけど)や、0学占い(これも詳しくないけど)とか、とにかくあらゆる占いのランキングで最下位だったという、「大低迷期」でした。ですが、嵐が過ぎ去って気が付けば、そこにあったのは、「大嫌いな職場を捨てることが出来た」「学生時代からの望みだった上京が叶った」「それまで考えられなかった経験をさせてくれる仕事を得ることが出来た」「世界が俄然広がった」という、望んでいた通りの結果たちでした。『トドメ』となった恋愛のあれこれもその後、復縁(って言い方があってるかは解らんけど)しています。(まぁこれはいろいろこの後もごちゃごちゃあるんですが……^^;)低迷期とは、きっと、「運が悪いとき」という意味ではない。たぶん、「冬」なんです。それまでの精算期。登るのではなく、留まるとき。動きたくても、じっと押さえ込まれてエネルギーを蓄えているようなとき。誰だって明るく暖かい春や、過ごしやすい秋が好きだけど、もちろん、厳しい寒さの中に無防備なままでいれば、死んでしまうこともあるけれど、冬がなければ春がこないように、冬は「悪い時間」ではないはず。私にとって、冥王星に枯らされていたときというのは、そんな、冬のような時間だったように思います。そして、その木枯らしのあとには、芽吹きという再生が、ちゃんとやってきました。 *冥王星は、魂の導き手。頭……即ち『思考』でどんなに言い訳をしようとも、魂の部分に、「出来るのであれば、こうしたい」という、本当の望みがあれば、そちらが採用される。そのためには、手段を選ばないというシビアさはあるけれども。じゃあ、なにが魂の本当の望みなのか。それを解き明かしてくれるのが、ネイタルチャート(出生図)なのだと思います。前にも書いたけれど、私は人生の前半戦があんまり楽しくなかったです。もちろん素敵な思い出もあるけれど、基本、精神が苦しかったです。若いうちは煩悩が多いから、とか、理想と現実のギャップが計れていないから、とか、理由を付けようと思えばいくらでも出来るけれど、それでもやっぱり、若者らしい無責任さや、屈託のなさと、ひと一倍縁遠かったことは間違いないです。でも、もしかしたら、その屈託こそが『魂の望み』だったのかもしれない。高校時代の日記に、こんな風に書いていたのを覚えています。——苦しみ、悲しみを知らないで、人の心に寄り添えるだろうか。——苦しさを経験したことのない人に、苦しさを話したいと思う人がいるだろうか。——私は誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい。(……原文ではなんて書いていたか解らないです。日記を開けて探してみましたが、高校生の時の日記なんて、『イタすぎて死にそう〜〜〜!』って過呼吸になるので、限界でした(笑)ですが、大体こんな感じだったのは間違いありません。)屈託なく、楽しく若い時間を過ごすより、苦しみでさえも己の血となり肉となり、いずれ役立つ糧だから、と、私はそれを自ずから求めようとしていたのかもしれない。だから、精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まるんです。         ——『風の谷のナウシカ 7巻』十代で出会ったこの言葉が、当たり前のように心に入ってきたんじゃないかな。心に入るどころか、座右の銘にしていたくらい。それは、自分が描いてきた魂の目的にマッチするものだからだと、私は無意識……魂レベルで知っていたのだと思います。私のネイタルチャートは、先日の日記にも書いたように、土星の力が強く出ているため、あらゆることが『遅くなる』ということが予想される。『協調性』や『責任』の意味を持つ6ハウスに星が多い=自由が苦手『楽しみ』を表す金星がクソ真面目にがんじがらめなどなど、なかなかにマゾっ気の強いチャートです。ですが、金星は8ハウス。本来はなかなかの受けとめ上手のはず。その金星は同時に、「傷と『癒し』」の星キロンとアスペクトを組んでいる。月も金星同様、キロンとトラインで結ばれている。この月は、海王星とのスクエア。すなわち無駄にスポンジ体質の典型。生かし方によっては、大きな共感力を発揮する。……という面も。これはどれも、読み様によっては、高校生時代に思い描いた、「誰かの苦しさを心で理解し、共に涙を流せる人になりたい」という理想を叶えるために不可欠な要素となりうるはずです。だからそれを、自分の土台が出来上がる、『人生の前半戦』で体感しようと決めていたんじゃないか。土星が強いチャートである以上、前半戦を楽しくスピーディに進めることを“意図”していないのは明らかです。そもそも、楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重みを持つ星が並んでいるのですから。*——何をしに来たの、この世へ。これらは、占星術や冥王星を知る前から、度々私が抱き、繰り返し書いてきた思いです。たぶん今後も、何度だって口にするでしょう。——何をしに来たの、この世へ。——ああそうだ、生きにきたのだろう。「この世に生まれてきた理由」は、全方位から認められる幸せや、成功を手に入れるため、ではない。魂を乗せて運ぶ、この体がなければ知り得ないことを、余すところなく味わうため。そうしてあの世に還る時、たくさんの『おみやげ』をもっていくため。生まれる前に、“自分で”魂に刻んだ目的を果たすため―――。楽しみをあらわす「5ハウス」に「土星・冥王星・木星」という重い星が並ぶ、私のネイタルチャート。時間をかけて努力することを学ばせる『土星』、壊したり組み直したりしながら魂の目的に気付かせる『冥王星』、そしてその後ろ、ハウスの出口に近い場所に、甘やかすように『木星』が待っています。これまでのトランシットも大方、その流れでやってきました。土星、冥王星の洗礼を受けた後に、なだめ、癒すかのように木星が通っていったのです。「精神の偉大さは、苦悩の深さによって決まる」というナウシカの言葉に何度頷いたか知れないけれど、人生は、それ“だけ”では、片手落ち。もう一つ、取りこぼしている命の真実がある。――この世で体感出来るのは、苦悩だけではない。喜びも、朗らかな温かさも、命を、体を貰ったからこそ、味わえるもの。苦悩、懊悩の果てにそれを手に入れようと決めていたのなら、喜びを手に入れることもまた、魂の目的であるはず。悩み、自らを責め、間違わずに生きようとした日々は長過ぎて、それが自分にとっての当たり前になってしまっていたとしても、繰り返して言おう。私は、自分の土台を作り上げる人生の前半戦で、暗く深い学びを得ようと決めていた。後半戦で味わう、人生の、もう一つの側面を、より鮮やかで輝くものにするために。……言われてみれば、私、ケーキの苺は最後に食べる派なんです。(おわり)---関連リンク

冥王星と魂の望み〔前編〕 / 破壊の実例

NASA/JHUAPL/SwRIここしばらく、「自分ちの近くに戦闘機がやってきて、防空壕に隠れる」だの、「脱走兵をかくまっていたら、巻き込まれて爆死した」だの、「核爆弾が紫色の閃光を放って、死を悟った」だの、とにかくえらく物騒な夢を続けて見ています。なぜか、「台所が爆発した」なんていうのも。今現在、死んだのは2回。台所の時は無事だった。「死ぬ夢を見るときは生まれ変わるときだ」、なんていいますけど、それにしても死に方が穏当じゃないじゃないですか。というわけで、この夢が示すのは、「現状を打破=爆破したい」という思いかな? と解釈しています。とりあえず予知夢や、世情への不安の現れじゃないことを祈る。まぁ今のところ、目が覚めて、「怖かった~」という思いは、あまり無いですし。「生まれ変わり」をあらわす星は、なんといっても、太陽系最強の『冥王星閣下』ですね。冥王星は、「死と再生」の星。乗り物に例えれば「戦車」とか「ブルドーザー」だそうで、普段使いはしないけれど、いざというときにハイパーで容赦ない働きをする星です。ですので、冥王星がトランシットしている(自分に影響を与えている)時のことって、大概、「ひどい目にあった」とか、「苦労の最中にあった」なんて聞きますし、今で言えば、牡羊座・蟹座・天秤座・山羊座に星が多い方々は、大変革期を迎えていらっしゃるかもしれませんね。土星も山羊座入りしましたし。私の人生で最も冥王星を食らってた実感があるのは、幾度か書いていますがやっぱり、『上京を決めた頃』でした。 ざっと説明しますと、まず、当時勤めていた会社で、大問題が発生しました。会社全体で、大きなミスをやらかしたのです。そもそも、そのミスというのは、会社が社員の相談もなしに取り入れた『新システム』が原因。そのシステム導入があまりにも大きい改悪だったため、社員の仕事量はおよそ5倍に膨れ上がっていました。よって、深夜残業をしても仕事が終わらず、家に持ち帰って仕事をしたり、休日出勤したりした人も多数いる状況になり、そうするうちに、社員がどんどん疲れ果て、その結果の暴発。四方に謝罪をしないといけなくなりました。社員はそのとき、正直期待しました。「これで社長は、今度こそあのシステムを見直してくれるに違いない」と。ですが、社長は、急遽、社員の年末の休みを取り上げたのみならず、「社員の賞与を全カットとし、そのお金でお客様ひとりひとりに、ボールペンをお配りし、謝罪しよう!」などと、面白いことを言い始めたのでした。笑いの取り方がよく解っていらっしゃると思います。賞与といいましても、それは『残業代の別名』だったことも忘れてはいけません。(そのことは後ほど、専務から直に明かされます)けれど、残念だったのは、せっかくの一世一代の大ジョークを、社長自らが告げず、代わりに専務に言わせるという、もったいないことを仕出かしたことでしょうか。専務がその決定を社員に告げている間、弁当の箸を洗いに、そそくさと給湯室に早足に駆け込んでいった社長のみっともない背中は、今も忘れられないです。自身もミスをやらかした内のひとりだった課長(例の少女Aの作者)は、影でオンオンでかい声で泣き、洗脳されていた、私たちヒラは目を覚まし、「このままじゃダメだ」と立ち上がる準備を始めました。奇しくもそんな中、『日直当番』が私に回ってきました。日直には翌朝、日誌を社長室へ持っていくという役割があります。そこで私は日誌に、こう書きました。――新システムは導入後一年経とうとする今も安定せず、業務に大きな支障をもたらしています。――今後に向けて、全員参加の会議を行ってください。「じゃあ、どうしたらいいと思うかね?」『どうせ大した策も無いのに、未熟な若いヤツが文句を言っているだけだろう』と、高をくくっていたであろう社長の横柄な問いかけに、「新システムを廃止しましょう」思いのほか、私がはっきりと答えたため、そこから2時間、社長室で論戦となりました。論戦とは言っても、問われたことに坦々と答え続けただけ。食って掛かったわけでも、声を荒らげたわけでも、まして打ち負かそうとしたわけでもありません。ですが、社長にしてみればおそらく、初めて『正面から意見してきた』社員の存在に怯えたのでしょう。結果、全体会議を行うことにはなったのですが、「意見がある人は資料を出すように。」という課長からの指示に忠実に従い、ヒラ数名で作成して提出した「業務改善案」が、結果的に「血判状」のように取られ、作成者は「謝罪文を書くか、あるいは退職するか」を迫られたのでした。今考えれば、会社の対応は普通に法に問うことが出来るでしょう。今であれば、ネットで炎上さわぎを起こすことも可能だったかもしれません。(出来てもしないけどさ!)ですが、当時(といっても、ほんの5年前ですが)はまだ、「多少はガマンすべし」という考えがまかり通っていました。私は、『魂を汚すことは出来ない』という思いだけは揺らがなかったので、謝罪文は当然ながら拒否し、後輩のひとりとともに会社を去ったわけですが、知人や家族には、「社長を追い詰めたのか」とか、「社会で生きていくには仕方ないこともあるだろうに」とか、「君は気が強い」などなど、否定的な言葉を次々と浴びせられ、正直、会社を辞めたことよりも、それらの発言に傷つけられ、苦しんでいました。唯一の救いは、地元の大手銀行で総務担当を経験していた叔父の、「がむしゃらに働けばいい、という考えはもう過去のもの」「ワークライフバランスを重視する時代に入っている」「社内コミュニケーションを下から取ろうとするのはそもそも無理。上から降りてくるべきだ」といった言葉でした。あれがなければ死んでたと思う。そうして無職になり、次の仕事を考えないといけなくなりました。しかし私には、どうしても、再び『鹿児島で働く』というビジョンが見えませんでした。頭の中にはいつも、「東京に出た方がいい」という言葉が響いていました。しかしそうは言っても、東京で何をしたらいいのか解らない。都会に憧れている思いや、足がかりにしようと思える当ても、別にない。あるのは、「なんとなく、でも、どうしても東京。」……いや、それ以前に、「もう、ここにいてはダメ。」その漠然とした、けれども拭えない思いだけ。かつて上京して逃げ帰ってきた身内の存在もあって、こんなふわっとして馬鹿げたビジョンに従う勇気はなかなか湧かず、直観と恐怖の間で揺れ動く一年を、実家で惨めに、悶々と過ごしました。もたもたしている私に、とどめをさしてくれたのは、『恋愛』でした。この苦悩の一年の間に、恋愛面でもこじれた私は、ほっぺたがカピカピになるくらい泣き続け、何もかもなくしたような捨て鉢な気持ちになり、「ああ……もう、出るしかないな」と、鹿児島を押し出されたのでした。* * *これが冥王星の「本質に逆らう生き方を更地に戻す」ということだと、今になってよく解ります。私はこの会社にいる間、辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。それは残業がひどかったこともあるけれど、社員が子どもたちの勉強の成果をデータで区別し、「しょぼいヤツ」「意識高いヤツ」と心ない言葉で表していたこと……社内で、今で言うパワハラ発言が多数飛び交っていたこと……それらの何もかもがイヤだったし、そもそも、「全然、やりたい仕事じゃなかった」から。けれど、それこそ、「生きていくためには、ガマンせねば。」といった『常識的思考』によれば、ここにいることは『正解』とされるわけで、私は魂を蝕まれるような気持ちでいながらも、ただただマジメに黙々と働いていました。ですが。常識は所詮、その時代にあわせて人間が作り上げた、その時代専用の枠組み。「魂の真実」ではありません。そのガマンがどんなに、その時の世間的には真っ当とされる生き方だったり、時間をかけて作った立ち場であっても、冥王星にしてみれば、知ったこっちゃない話。「それはお前の、魂の望みか?」冥王星に問われるのは、ただ、それだけ。そしてその答えが『No』であれば、どんなに、「でも」や「だって」で防御したって、冥王星は黙ってブルドーザーを発動するのみ。冥王「本心では変わらねば、と思っているのだろう?」エゴ「う……でも、捨てたら捨てたでリスクが……。普通に考えたら現実味が……」冥王「わしは思考に聞いているんじゃない。魂に聞いておる。」ズガガガガガガ!!!ゆえに、冥王星が効いているときは、一見すればひどい目にあったりもするのでしょうが、きっとそれはすべて、「本来歩むべき道へ導くため」。そこに「情け」や「容赦」はないけれど、それが冥王星のハートマークがあらわす「愛」なんだと思っています。(後編へつづく)--関連リンクこの頃のトランシットについては、こちらをご参照ください