cotorilla

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味わい深い価値観を

激おこフシャー丸(実際は「にゃーん!」って言ってる途中)*明治維新の最大の立役者でありながら、しゅっとしたイケメンだらけのはずの『銀魂』ではなぜかひとり、「白フンの暴れん坊という過去を持つ、カマっ娘クラブのママ」として描かれ、腐女子の萌えに全く関わりを持たせてもらえなかった西郷隆盛が……『翔ぶが如く』では、大久保利通との熱い友情、かつ涙の決別という、BL妄想要素満載でありながらも、眉毛のふっとか芋ザムライなイメージ故にか、あるいは西田敏行氏が演じてたためか、全く萌えを匂わせなかった西郷隆盛が……そう、どの角度から来ても、あらゆる「萌え」をはねのける「鉄壁のモサさ」を誇っていた西郷隆盛が、まさかの国営放送公認スイーツ主人公として描かれようとは、誰が予想しただろうか、脚本家、即刻クビにしてくれよおおおおおお!中園ミホ氏は、私のルーツにことごとく関与しては破壊活動を行っていきなさる御仁ですな。前回は『赤毛のアン』、今回は郷里……。ミラクルファンタジー大河ドラマ『西郷どん』の一番の問題点は、なまじ、“国営放送の目玉ドラマ”という堂々たる看板を掲げてるもんだから、どこまでが史実で、どこからが捏造か、混乱する人が多そうなところだと思います。1000歩譲って、ロシアンルーレットは見逃したとしよう。(いや、島津家の子孫の皆さん、怒っていいレベルだと思うけど。)けど、そもそも史実の描き方が杜撰すぎて、斉彬派の粛正の理由がイマイチ伝わらず、「なんで赤山先生、すぐ死んでしまうん?」状態。意味不明な投獄があったかと思ったら、ジョン万次郎の心を開いたとかで「西郷、面白い男よ」……いや、なんもしてねーよ……ジョンはお母さんがお風呂に入れてごはん食べさせただけだよ……。むしろこの西郷どん、アホの子過ぎて、総大将になれる予感が全くしないよ……。挙げ句の果てには「ラブぜよ」……って、あれ、これ日テレ土曜10時のドラマだったっけ?役者はいいのに……風間俊介くんも出るっていうのに(風間くん好き)……高橋光臣さんの有村俊斎とか結構楽しみにしてたのに……。『真田丸』だって硬派じゃなかったけど、脚本家にはちゃんと、歴史を扱うことに対する矜持みたいなのがあったと思う。まともな(!)西郷隆盛・大久保利通が見たい方は、90年代に放映された『翔ぶが如く』を見ることをオススメします。<原作:司馬遼太郎、脚本:小山内美江子>のタッグで誠意を持って描かれた明治維新は、実に見応えがありました。『翔ぶが如く』が、ちゃんと出汁をとって作られた和食だとするならば、『西郷どん』は、旨み調味料で舌を刺激したインスタント食って感じ……。せっかくふるさとが舞台なのに、もう残念極まりない……。というわけで、私は西郷どん、脱落組です(´ - ` )*という晴れぬ思いも手伝ってか、先日は急に思い立って、神保町の古本屋めぐりをして、「坂の上の雲」(司馬遼太郎著)を一気に購入。通勤の行き帰りで読みふけっております。読みふけり過ぎて、先日は一駅乗り過ごしてしまいました。仕事に1分遅刻した。(ちゃんとして)そのちょっと前は、「遠藤周作週間」でした。遠藤周作さんの小説とエッセイのギャップが好きで、交互に読んでます。このときも、あやうく乗り過ごしそうになりましたっけ。今、自分の中で大正生まれ男子が熱いです。遠藤さんも司馬さんも、どちらも大正12年生まれだそうです。私はあんまり読書家ではないし、歴史も苦手なのですが、今年(から)は、雑食読書家になろうと思います。最初は意識的に、でしたが、今は「ああ、読書、こんなに楽しかったっけ。」という結果的にラッキーな感じに落ち着いています。読書に没頭するきっかけを作ってくれたのは、絵画スクールの先生です。スクールのお昼ごはんのときに、何の話がきっかけだったかは忘れましたが、私が「私、どうにも中身が大人になれなくて困ってるんです」ということを言ったのでした。外側だけは老けていくのに、これはイタい、と。「後輩にも、『菜央さんは、14歳から4年に一度しか年取ってない』って言われる」と。(実話)同様の悩みを私は10年くらい前からよく口にしています。悩んでるのは本当。とはいえ、この話をするときにいつもそうしてもらってきたように、周りのおばちゃんたちには、「別にいいのよ〜、そのままで〜」と柔らかく言ってもらって、無意識的にたぶん、自分でもその答えを欲してた部分もある気がする。そんな自分の“ずるさ”に気付いたのは、先生だけがふっと真面目な目をして、「本を読んだらいいよ」と静かに言ってくれたからかもしれません。「映画もいいけど……やっぱり本だね」それは取り立てて特別なアドバイスじゃなかったかもしれないけれども、静かでシンプルだったことが手伝ってか、より深く頭に入ってきました。――そうだよ、わたし、本気でオトナになりたいんでしょ?――逆コナンくんはごめんでしょ?そして私はその日のうちに、前から気になってた遠藤周作の本を注文したのでした。*「良書」と言われるものを読んでて思うのは、ここには「心を楽にしてくれる価値観」が詰まっているということです。このネット社会、意識的に遠ざけないと、ついつい余計な情報で頭がいっぱいになってしまいがち。そしてそれら“インスタント”に入手出来る情報は、本来、決して思慮深く導きだされたものではなく、それこそ嗜好性ばかりが高く、栄養にはならないジャンクフードのような刺激物。「◎◎な立ち場であれば、●●であるべき」「××歳くらいになったのなら、■■くらいは出来ているべき」実に上手く「正論」然として、「常識的」という矛で襲いかかってくるそれらの正体は、ほとんどが人間の「不満」や「劣等感」にうまく取り入りながら、他人を嘲笑うという『快感』に陥れてくる麻薬のようなものです。情報が簡易に手に入るようになったからこそ、そういう低質なものが氾濫していることに留意すべきはずなのに、それでも私たちは自信がない時や、どっちへ行ったらいいのか解らない時、そんな「泡沫の正しさ」……即ち「悪意」に、容易に振り回されがちな気がします。でも、「古い良書」に触れていると、自分を振り回していた「体に悪い情報」がいかに無用なものだったのかということを、冷静に判断出来るようになります。自分が触れているものの多くは、平成30年現在の「流行り」に過ぎないのだ、と。遠い昔にはまた別の常識があり、人間の歴史なんて、そういうものだ、と。そして、我々が本当に大切にすべき価値観は、誰かの貧しい優越感を満足させるために存在するのではなく、誰かに強いられるものでもなく、実にシンプルであり、己が善く生きるために、背筋を伸ばして立つためにのみ、あるべきものだ、と、本を読んでいると、そういうことに気付けて、心がすうっと楽になってきます。*子どもの心を無くさないことは大切だけど、「子どもっぽい」のと、「若々しい」は当然ながら別物。「いつまでも子ども」でいても許されるのは、かわゆいにゃんこやワンコたちだけかもしれません(笑)

ケンゾクいもむし <P新月に於けるメモ〔4〕>

占いやスピリチュアルに抵抗のある人は多いと思うし、ヘタすれば漫画なんかではオチに使われてることもありますし、私も正直、どこまで信じたものか……と思うようなものもあります。話す相手だってもちろん選びます。けれども、占星術に限っていえば、こんな使えるツールを「占いwww」なんて小馬鹿にして遠ざけるのはもったいなーい!というのがやっぱり本音。星の動きを実際に体感したことも、星の動きを知ることで助けられたり、ヒントになったことも数知れずあるからです。そんな「体感した星の動き」の一つは、何と言っても、やっぱり「プログレスの新月」。昨年、いや、一昨年頃からの爆発的な「捨てたい・片付けたい欲」は、やっぱりここに向かって増大していたんだ、と痛感します。以前も書きましたけど、本格的な「大掃除・片付け」を始めておよそ一年半で、私は、<平均140cmサイズのダンボール約25個ほど+その他ゴミ袋多数>を処分しました。それまでも定期的に片付け欲がやってくることはありましたが、これは流石に人生最大レベルでした。(よかったら漫画の方も読んでね^^)そしてこの欲が、(こないだもちょっと書いたけども)最近ではすっかりおとなしくなってしまったのです。11月30日が「プログレスの新月」の当日だったわけですが、それを境にぱたっと消え失せました。年末の大掃除のやる気の無いことと言ったら(笑)それだけに、生まれ変わりに向けた「内なる欲求」の存在をより強く実感したような気がします。*プログレスの新月(以下「P新月」)は、30年に一度やってくる、人生のテーマが刷新されるタイミング。それを迎えるにあたって今までの物を全部捨てたくなってしまった、その心理の中には、結局、ちょっと悲しいけれど、「今までの自分を捨てたかった」というのが、どうしてもあったのだと思います。例えば、職場の先輩と話をしていると、先輩は高校時代のことを結構楽しそうに話します。(もちろん、先輩は私とは別のところで、いろんな大変な経験をしているわけですが)だから、そんな楽しかった学生時代は、捨てたい思い出になどなろうはずもないでしょう。ちなみに先輩は、結構、ステラレネーゼらしいです(笑)。でも、本当に正直に言うと、私は、高校時代がすごくキツかったし、大学でも後悔がたくさん出来てしまったし、中学までの自分が嫌いだし、思い出せば出すほど、「鹿児島時代に楽しかった思い出がない」という気がしてきてしまうのです。ただ一つの、あの「再生」の時間を除いては。これは、鹿児島で出会った人や、幸せを願って育ててくれた親に申し訳ないことだと思います。でも、やっぱり、全てをばっさばっさと容赦なく無我夢中で捨てていった私のその行動は、「もう、あんな思いはごめんだ」って、「染み付いてたしんどさを捨てて、新しくなりたいんだ」って、そういう必死さの現れだったのだとしか思えません。「そんなに何もかも捨てなくてもよくない?」と言う母はちょっと寂しそうで、胸が痛まないわけではなかった。それでも、なんだかもう、たくさん、たくさん捨てたくて仕方がなかったのです。すっごく、生きづらかったんですよね。鹿児島にいる間。もうね、なんだか辛いことばっかりだった。もう、そう言っちゃってもいいかな、って思う。つらいなんていうのは、「甘えた弱音」だと思ってた。だってそもそも、いじめにあったわけでも、仲間はずれにされたわけでもないし、友だちにも恵まれたし、今も仲のいい友だちがちゃんといる。でも私はずっと自分の姿にもすることにも自信がなくて、写真にもどう写ればいいか解らなくて、劣等感の塊で、あちこちで叱られてばっかで、手放しで幸せを感じたことがほとんどなくて、可愛くなくて、かたくてつまんなくて、みっともなくて、ダメなヤツだ、何も出来ないヤツだって、どこにいても、浮いてるような気がして、自分で自分を否定する言葉が、いつも当たり前のように心の中にあって、そうやって、ずっとずっと、自分をいじめてきてたんですね。漫画で描いたように、最初にやってきた片付けの波は、「物」ではなく、「携帯データ消去事件」でした。古い付き合いのデータがたくさん無くなりました。一年以内にやり取りをした人や、どうしても取り戻したいデータは取り戻せましたが、登録データが1/3に減りました。(余談ですが、この話をしたら、「そうだよね~、結構要らないデータ入ってるよね~」という声を多数耳にしました。最近は世の中全体的に、「友達が多い=いいこと」という考え方、無くなってきてますね。)そして、実際に「物」を減らす方の片付け波は、この後にやってきました。連絡先を消すという、一番やりづらいことが済んでるわけだから、勢いがついています。物を減らすということ、それは即ち、貰い物、買ってもらったもの、年賀状や手紙といった、後ろ髪を引かれるものをバサバサと捨てていくということ。「(もう使ってないけど、)せっかくくれたのに、悪いよね」「(趣味じゃないけど、)いいと思って贈ってくれたんだよね」「わざわざ、直筆なんだよね」といってとっておいたこれらを、「古くて使わない」「邪魔である」「そもそも不要」という、自分の意志を優先して、見限らないといけないんです。つまり、「いい人をやめる」、この第一歩だった気がします。元々、「物質」にさほど執着心のないタイプですから、捨てると決意してしまえば、不要なものを選別すること自体はそんなに大変じゃなかったです。けれど、一番最後に、『使えるし、好き』だけれど手放した物がありました。それは、「自分で選んだのではない物」たち。もっといえば、「自分で見つけて好きになったわけではない物」たち。それを手放して、私は、自分で自分のハンドルを握りなおそうと、そう決めたんだと思います。*一昨年の夏、占星術的にいえば、進行の月が7ハウス入りをした直後。職場のビルの下で、ものすごく大きな、赤いイモムシがのっしのっしと這っているのを見つけました。ぎょっとして、一旦のけぞりましたが、こんなに大きくて、しかも赤い幼虫なんて初めてだったから、今度はおそるおそる身を乗り出して、その姿をじっと観察してみました。それから一年後、私はふとなんとなくその時のイモムシが気になって、画像検索で正体を探してみるという、恐ろしい行為に出ました。検索ワードは、<イモムシ 赤い 大きい>虫好きの方以外は、ググらないことをオススメします(笑)。「ぎゃおー! うおえー!」と悲鳴を上げながら、「あ! これだ!」と、みつけたあのときの幼虫の正体は「オオミズアオ」という蛾でした。そして、その成虫は、幼虫時代のおぞましさとは一変して、エメラルドグリーンの大きな翅をもち、まるでティンカーベルのような、神秘的で美しい姿をしていました。そして解ったのは、オオミズアオの幼虫は通常、緑色をしているのだけれど、サナギになる直前だけ、体が赤くなるのだということ。私が出会ったあの堂々たる幼虫は、「大変容」のための眠りに入る直前だったわけです。梨木香歩の小説、「からくりからくさ」の中で、主人公の一人である紀久さんは、山の中で、天敵とも思っていたほど苦手な「ヤママユガ」が、繭から出て飛び立つまでの「命がけの変容」に付き合い、その感動を同居人の蓉子や与希子宛の手紙に記します。生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。幼虫の姿ではもう生きていけない。追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。奇しくも、私が出会ったオオミズアオも「ヤママユガ科」に属します。私は今でも何となく思うんです。あの幼虫は、神様の眷属……お使いで、私にこう言ってたんじゃないか。「私は今から、この体を脱ぎ捨てて、羽ばたいてゆく。おまえもな。」って。

ヘルメスのくつ

ひさしぶりに、ツイッターのアカウントを復活……というか新規取得しました。性懲りも無く。前回の退会理由は、情報が多すぎて疲れてしまった見なくていいものが見えるのに疲れてしまった見せなくていいものを見せてしまうのが止められなかった呟くことで満足して、文を書かなくなっていることに気付いたってもう、もやもや迷うんならアカウントを掃除してしまえ!でしたので、今回は自分のルールを決めまして、コミュニケーションツールとして活用しすぎるべからず情報を見境無く集めるべからず🦇ここに投稿して満足すべからずこれを破り始めたら、退会じゃー!というわけです。再開を決めたのは、ときどきお世話になってる、植物の本屋さん(魔女さんともいう)の投稿が素敵で、こういう世界にもっと触れていたいなぁと思ったのと、その本屋さんのように、テレビやメルマガでは発信されていない、ひっそりと森に隠れているような情報をもっと上手に得たいな〜と思ったためでした。あともうひとつ。うちのサイトって、「アメーバアカウント持っていないとコメントが出来ない」という問題を持っていましたので、ツイッターが出来ることで、読者様とのやり取りが今までよりも、やりやすくなるかな、という思いもありました。これも、ツイッターのアカウントを持っている方に限られてしまいますが。コメント、お気軽に送ってくださいね。で、その肝心のアカウントはこちらです。https://twitter.com/nao_lyra

地球とケンカしないのよ

インスタ映えするように、フォトショで加工しました♡(※ インスタやってません。)私が今使っている化粧品は、化粧水・シャンプー・リンス・洗顔料…アメリカ製ファンデーション…フランス製保湿クリーム・ハンドクリーム・オイル・チーク…ドイツ製化粧下地・美容液・朝の保湿クリーム…日本製です。すごい、フランス製なんて……なんか、「オシャレ意識の高いステキ女子」みたい!!(*´艸`*)……といいたくなるところですが、実はこの皆さんはいずれも、日本のメジャーなメーカーのと同等……あるいはそれ以下のお値段なんです。有名女優さんがCMしてるようなハイクラスのものと比べると、半額以下になることも^_^細かいところは時々メンバーチェンジしますが、長年模索した結果決まった基本的なスタメンが、写真の彼らです。一個一個紹介すると、回し者(ステマ)と疑われそうなので、それはやめときます(笑)私が化粧品を主に外国モノで揃えることにしたのは、まず、ひとつ。日本のメーカーの多くが、「動物実験」をしていることを知ったため。んで、もうひとつ。日本は、「オーガニック」と書いてあってもその表示が全くあてにならないことを知ったため。地元で行きつけだった美容院が、自然派にこだわっているお店だったのですが、店長さん(の、奥さんだったかな?)が、ある日、教えてくれました。「日本は『オーガニック系』と、『本当のオーガニック』の区別がつけられてないんですよ~」って。よく、CMで「オーガニック成分配合」なんて言っているのは、ちょっぴりだけ混ぜてオーガニック名乗っちゃってる場合がほとんど。欧米には<認証マーク>がありますが、残念ながら、今の日本では、オーガニックは『言ったもん勝ち』みたいです。だから、日本製のを買うときは、公式情報を頼りに自分で調べてる状況です。☆参考:オーガニック認証について(コスメキッチンのページがくわしかった)動物実験については、私が化粧品にこだわり始めた頃には、まだ日本の大手メーカーの大半が行っていましたが、最近ではだいぶ状況が変わってきたようです。ただ、そういう企業でも、成分自体は、見る限り、今もあまりよくないみたい。先日、日本は「動物」との在り方について、まだまだ後進国みたいだ……という話を<こねこのケンシロウのあとがき>でしましたが、動物のことにしろ、自然とともに生きることにしろ、この国は「目先の合理性」ばかりを重視して、いろんな大切なことを取りこぼしながら、わき目も降らず走りすぎてきたんじゃないかなぁ、なんて思います。で、結論だけれど、私は肌を褒められることは、たぶん、かなり多い方だと思います。うふ。それから、美容院で炭酸スパ?だったか何だかをしてもらったときに、「頭皮……綺麗ですね」とも言われたよ。「普通、シャンプーのコーティング剤とか、整髪料で、水がもっと濁るんですけどね。綺麗ですね」って。きっと将来も禿げません(笑)そして、何と言っても、オーガニックは、香りが違ーう!こういうのを使い始めると、化学物質バリバリの世界には帰れませんっ。地球にいいものが、結局、人間にも一番いいものなのは、よくよく考えたら当たり前のこと。一見、遠回りして作ってるようなものが、本当は一番「合理的」だというわけですね。

出口明けの明星 <P新月に於けるメモ〔3〕>

おそうじジャマして、かくれんぼしっぽを出したこ いっとうしょう*明日は遂に、プログレスの新月です!約30年ぶりの、生まれ変わりの日です。(というわけで、今日はがっつり、不思議の世界の話題です。)今回のP新月は、度数は「山羊座5度」サビアンは「カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン」部屋は「7ハウス」……対人関係の部屋。これが今から30年のテーマになります。……孤独ではなさそうですね!(笑)前回のP新月は、射手座5度木の高いところにいる老いたフクロウ6ハウスで起きました。6ハウスのテーマは「調整・協調性・健康・労働・奉仕」……と、はっきり言って、あんまり楽しくなさげな言葉が並んでいます。実際、6ハウスが強いと、結構苦しいんだとか?^^;本当に、この一、二年は、8月31日のように、上記最初のプログレス新月のテーマの「総まとめ」を行っていたんだなぁという実感があります。6ハウス的な「駆け込み」がたくさんありました。人生最大規模の『掃除』もしました。そして、そこから『奉仕』、つまり募金に変えるという、今まであまり思いつきもしなかった発想が出てきました。子どもの頃は、『健康』にも難がありました。6ハウスには『ペット』という意味もありますが、動物アレルギーであきらめざるを得なかった『毛の生えたペット』(笑)を飼うことが、体が強くなるにつれ、可能になりました。「健康問題」の改善で「ペット」が来る。そのまんま、ですね。『労働』についても、まず痛い目を見てから、手放していく。そういうことを繰り返しました。そして、何と言っても、たくさん『調整』についてを学びました。私は元々……よくいえば感受性が強すぎる、悪くいえば過敏で扱いづらい性質なんだと思います。そうなると、自我が暴れやすく、自分で自分を持て余しちゃう。学びの面白い(……)ところは、その性質を過剰に特化させたような人間関係が現れたりするところですが、それもセオリー通り、起きました。すると、そのうち「人を感情で振り回す」ということが、自分の中で「よろしくないこと」「コントロールすべき事案」として浮かび上がってくるんですね。そして、「ワガママ言わない」「協調性を大切にする」「人と自分の折り合いを付ける」、つまり「自分を抑えること」が何よりの正義のように、頭の中を支配していたような気がします。「頭を支配している」だけだから、実行が理想通り伴っているかは別問題です。15年ほど前の「プログレスの“満月”」は、このテーマが一旦満ちたとき。この時は、「調整」「協調性」の問題がパンパンに膨れ上がりました。早い話が、人間関係の問題が暴発したわけです。土星だの、冥王星だのの星まわりもすごかったですが、それらは、このテーマをパンパンに膨らます舞台装置だったのかもしれません。※ 詳細はこちらの記事をご参照ください。>『人生で一番○○だったときのホロスコープ』P満月を過ぎたその後は、このときに持ちきれないほど抱えた、調整や協調性に関する学びや、価値観の中から、「不要なもの」を削ぎ落としていった期間だったのだと、今になって解ります。人と合わせることは大切なこと。人間関係に波風立てないことは、この世を生きる上で有効なスキル。でも、それを自分を苦しめるような『犠牲』にしてはいけないよ……と。6ハウスの後半15年がなければ、ただ、「合わせていればよい」、あるいは「(嫌いな)自分をもっと抑えなければ」……そこに留まっていた可能性があります。後半15年。後悔を糧に「再生」が起きました。愛し愛される時間の中で、「合わせて“寄り添う”」ことを叶えられました。自分を抑えこんで尽くすことは、「愛」ではなく、自分を守ろうとすること……相手を思ってのことではないのだ、と教えられました。「合わせる」というのは、確かな「自分」があってこそ出来ることだと、知りました。自分の中から出てくる言葉は、全て自分が「知って」いるもの。たくさん知りました。たくさん学んで、手放して、本当に必要な部分を自分の中に着地させました。そうやって、自分を作っていきました。それが7ハウスのテーマへ移行するのです。そうして作った自分を使って、他人と「対等に」向き合うんです。きっと、そういう30年が始まるんです。そうだ、ワクワクするんだ!山羊座にはネイタル「金星」が待っています。冥王星にどかっと乗られて、大変革を余儀なくされている「金星」が。金星の象意は「愛」と「女性性」。あと、お金も!(笑)恋愛とか、楽しいこととか、キラキラしたことは、自分には不似合いだ、とずっと思っていました。でも、変革期に入って、そうじゃなかったことに気付かされてきました。タロットを引いてもらっても、大抵、自分を表すところに「女帝・クイーン・プリンセス」が出る。ホントは、高いポテンシャルを持つ「女性性」が封印されてんじゃないのかなあ……そう思ってもいいかもしれないなぁ……と、最近では思っています。土星と90度で、しかもミューチュアルレセプションだからパワー倍増の横やり90度で、アスペクトを取るキロンから傷を受け、8ハウスに閉じ込められて苦しそうだった私の金星。でも本当は、情熱の火星と仲良しの120度で、「心」を示す月や、「書くこと」を示す水星ともメジャーアスペクトの吉角で、こと座のベガからダイレクトにパワー注入されてて、冥王星に再生を促されて、キロンの癒しの側面を発揮できて、実は受け取ってなんぼ!の8ハウスにある私の金星は、きっと、そんなものすごい可能性を秘めた金星なんだよ。そして、金星の待ち受ける山羊座でプログレスの新月。きっと私は、今からその『金星』を生きることになるんじゃないかなぁ、と。ワクワクすることは、きっとまだまだ、もっともっと、いえ、こうやってたくさん学んだ今だからこそ、起きてくるんじゃないかと思っています。

こねこのケンシロウ〔あとがき〕

動物と人のあり方については、いろいろ、いろいろ考えます。無責任に飼い、無責任に増やし、放棄することへの憤り、そして法の軽さへの悔しさもそうですが、それ以外にも、この国では、知らされていない問題が深くあるように思います。正直なところ、私たちもこの時はたまたまこの子を拾い、奔走しただけで、こうしたことに詳しいわけでも、高い意識を持って積極的にボランティアに参加したことがあったわけでもありません。実際、ケンシロウを拾って新しい家を見つけた後、わたしたちは、「もっと早く保護してあげればよかった」と、後悔しました。いくらでも方法はあったんだから、と。ただ、本音を言えば、例えば芸能人がテレビで、「うちの、××種の○○ちゃんです~」なんて言いながら、品種改良されて、洋服を着せられた、血統書つきの犬や猫を連れてくるのを見ると、私の中での彼らの好感度が一気に下がるのも事実です。その「家族」が「ブランド」である必要はあったのでしょうか?人間の「可愛いー!」を満足させるために、無理やりな品種改良をする必要はあったのでしょうか?芸能人の「高級な」愛犬・愛猫、バラエティ番組での「人気の種類ランキング」……それらを見るたびに、そう心の中で呟いていました。病気や先天的なもので言えば、今回の件で解ったように、野良猫譲渡会でも、非常に厳しい審査をもうけておりますし、人間には伝染しない病気であれば、一匹飼いをするのに何も問題はありません。ミサキちゃんのお母さんが言ったように、悪質なブリーダーも多々存在します。(私の叔母がブリーダーから買ったパピヨンは、来た当初から儚げで、やはり早世しました。)今の日本のペット産業は、「生き物を、人間にとって都合のいい売り物」にしているのが現状ですので、私はショッピングモールなどのペットコーナーでも、「可愛い~!」なんていう華やいだ気持ちで立ち寄る気には、到底なれません。この子たちは、もし、売れ残ったらどうなるのでしょう。私たちが今回、この子猫のことで危惧したように、「大人になるほど、飼ってもらいにくくなる」し、そもそも、飛び跳ねて、走り回って、遊ぶのがあんなに大好きなあの子たちが、売れるまでの間、ずっとあの狭い場所に閉じ込めらて、見世物にされているんだと思ったら、気持ちが重く苦しくなります。日本は他国と比べて、動物に関する意識が、先進国の中でも特に低いレベルにある国のように思われます。私もまだまだ聞きかじりの情報しか持ちませんが、西洋諸国の状況と比較すると確かなようです。このエッセイを初めて出した当時……つまり三年ほど前、私はツイッターのアカウントを持っていましたが、この時はちょうど、定期的に引き起こしていたSNSアレルギーを発症中でした。(このアレルギーはあまりに頻発するから、本の宣伝媒体になるものを無くすのは惜しかったけど、今は一切のアカウントを持っていません。)このアレルギーを起こしていた理由の一つに、「リツイート(RT)」というものがありました。他人のツイートを横流しする、あのシステムです。STAP細胞にまだ疑惑が生まれる前のこと、都内の女子大に通うフォロワーの子がある日、「年間数万人が自殺している現状で動物愛護を叫んでいるこの国、まじパンク」というRTを流しました。その直前にこの女の子は、小保方さんたちの動物実験器具が可愛く「デコレーション」されてることを揶揄した発言をRTもしていましたから、それに対する反論のつもりだったのだと思われます。彼女はそれまでも、小保方さんが『女性』であることを誇張された報道をされていること、男性研究者と対等に扱われていないということに憤ったツイートを度々流していましたから、この時も、おそらく、女性研究者の立ち場の尊重を訴えようという意図があったのではないかと推察しています。もちろんRTは、所詮、人の意見の引用に過ぎず、かつ、そこの部分だけ流されても、RTをした本人が何を言いたいのかが明らかでないため、結果、彼女は私の中に非常に晴れない(というか、早い話がうんざりとした)気持ちを残してしまったわけですが……いえ、小保方さんやTwitterのモラル云々の話は、今はどうでも良いこと。結局、何が言いたいかと言いますと、「自殺者が多い国で、動物のことを考えている余裕があるのか」ではなく、「動物のことにも考えが及ばないような余裕がない国だからこそ、自殺者数も減らない」のではないかと、私は思っています。日本では、フォアグラがどれだけ惨い“作られ方”をしているかを知っている人の方が少ないと思いますが、洋画を見ていると、「フォアグラは動物虐待よ」なんて台詞が当たり前のように出てきます。動物愛護とエコロジー大国であるドイツのほうが日本より幸福度が高そうに見えるのは、隣の芝生の青さだけが理由ではない気がします。ペット産業に疑問を持たない人が大多数なのは、疑問を持たない人が冷たいから、などというわけではないと思います。たぶん、この国では、極端に情報が絶たれているんじゃないかと思うんです。私の身近なところにもペットショップから犬猫を買っている人もいて(そのことで実は議論になったこともあったのですが)、うちではケンシロウより前にも何度か、我が家に迷い込んできた野良猫たちの貰い手を見つけたことがありますが、その子達を迎え入れてくれた人の中にも、「ペットショップをキャンセルして、もらいにきた」という人もいました。なにかしらのこだわりがあってペットショップを選んでいるとは限らず、日本では、ペットショップが「アタリマエのように許容されてしまっている産業」なのでしょう。——この子たちは、もし、売れ残ったらどうなるのでしょう——そんなことはないと信じたいですが、「殺処分」や「動物実験に譲渡」されていることがあると耳にしたことがあります。悪質な「引き取り屋」の存在も明らかになりました。それは、「産業」だから?あるいは「規制」が追いついていないから?規制があったとしても、簡単にかいくぐれてしまうのか……?ペットショップの子も、ノラの子も、同じ、命のある、可愛い、可愛い子たちです。私は、自分に出来る一番身近なことは、「この残酷なペット産業を肯定しない」という意思表示だと、今のところは思っています。(最近では、保護団体への募金も始めました。)法的規制が追いつかなくても、また、ボランティアなどの積極的な活動はハードルが高く感じられても、「ペットショップからは買わない」「血統書にこだわらない」これらが当たり前になったとしたら、日本の状況も変わってくるんじゃないか、と……。それもまた、犠牲を踏み台にしてのステップアップには変わりませんが。そして、「ペット“産業”への疑問を声にし続ける」こと。もし多くの人が疑問を持ち、考える機会を持ったなら、悲しい一生をたどる犬や猫の子たちが今よりずっと減っていくのではないかと思うのです。「大切に育てます。  みさき」動物病院の先生が言ったように、彼はもう、ノラに戻ることはなく、幸せに暮らす王子様になりました。まるで、孤児院からもらわれた「赤毛のアン」のように。今は、どんな名前で呼ばれているのかな。しっぽのほとんどない、ミギャアアとダミ声で鳴く、小さな黄色い獣の子。彼が幸福になったことが、また、私たちに幸福な気持ちをくれました。そして今も、ミサキちゃんやルナちゃん、お父さんお母さんを、たくさんの幸福な時間で包み続けている、大きな存在であることでしょう。(おわり)*参考に。「ペットショップにいくまえに」 (えとぶん・どい かや)

こねこのケンシロウ〔3〕

検査の結果、病気がないことが解ったため、その日は夜中ケージから出して、自由にさせることにしました。 この数日前、「猫のダヤン」のタロットカードを購入していた私は、ベッドに潜って、布団をかぶって、電気スタンドを一つだけつけて、カードをごそごそするのが日課になっていました。今、自分でも思います。おい、どこの黒魔術師だ。と。これは話を遡りますと、その昔、私の大学の近くに絵本専門の本屋があって、その一角に、「猫のダヤン」のコーナーがあったのです。そこでこの、ダヤンのタロットカードを見つけた私は、当時、タロット占いには興味はなかったのですが、カードが綺麗で欲しくて、でも、貧乏学生だったため、1,500円に若干躊躇したのでした。そう母に言うと、「うんにゃもー、1,500円くらい出してあげるがー!」 と言って、1,500円くれたわけですが、グダグダしてるうちに、この絵本屋が無くなってしまったのでした。ということを、大学卒業してだいぶ経ってから母に言うと、「じゃあ、1,500円ガメただけね!?」と、軽く詐欺師になっていたことがバレたので、その1,500円を本来の用途どおりに使うべく、ちゃんと楽◎ブックスで注文した、その数日後がこの頃だったというわけです。という、プール金消化タロットで遊んでいたら、こねこが布団の中に入ってきました。暴れん坊こねこは、なぜかこのときは非常におとなしく、私の腕にちいさな両手をかけて、カードをじーっと真剣なまなざしで見つめていました。と思ったら彼は、ベシ! とタロットを一枚取りました。引いたのは、「吊るされた男」。「献身」という意味があります。そうか、私は君のおうち探しに頑張った、とお認めいただけたという意味か?そういえば前の晩に、よし、この子の行く先を占ってみようと一枚引いて出たカードは、「運命の輪」の正位置でした。「幸運!」の意味があるカードです。そろそろ寝るか、と、ベッドの隣に置いてある椅子の上に、ふかふかの膝掛けを用意し、湯たんぽを包んで、寝床を作ってあげてこねこをくるみ、電気を消しました。すると人恋しかったのか、甘えん坊なのか、こねこは私の布団の中に潜り込んできました。あまりに小さいので、夜中につぶしてしまわないかという心配はありましたが、猫がおさまる形に腕を固定して、中に入れてあげることにしました。 あのメールの感じからして、もう大丈夫。明日から君は、君を王子様として迎えてくれるおうちで暮らせるよ。*日曜日、朝。
新しい飼い主候補さんがやってきます。「オイ、起きんか。もらってくれる人が来るんでしょう……って、うんにゃも、この子猫!」私を起こしにきた両親が、私を見下ろして笑いました。私の首の上でこねこが寝ていました。「これだけ懐いたら、もうあげきらないんじゃないの?」「ミギャー!」両親に向かって、私の首の上の子猫が元気いっぱい返事をしました。 なぜか声だけは、「みー」とか「みゅー」とか鳴く、「かわいいこねこちゃん」らしくならなかったなあ。大きなキャンピングカーで、新しい飼い主候補がやってきました。メールをくれたのは、中学一年生のミサキちゃん。メガネをかけて、髪をふたつ結びにしています。中学生時代の私と少し似ていました。ルナちゃんという妹も一緒です。車が大きすぎてうちの車庫には入らなかったため、お父さんが車を近くに停めにいっている間、庭でコキチを見せながら、姉妹とお話しをしました。「それにしても、よく、あんなサイトを知ってたねぇ」「前からお父さんと、猫が飼いたいって言ってて、ブリーダーとかも見てみたんですけど、やり取りとかがちょっとあやしい感じだったので。お母さんが、『ここは悪質だ。』って。
そしたらお父さんが、『こういうのもあるよ。』って、『ペットのおうち』を教えてくれたんです。で、あの投稿を見つけて、お父さんに相談しながらメールを打ちました」そのうち、お父さんが車を停めてやってきました。「気に入ったら連れて帰る」という話だったはずですが、手にはおみやげのケーキを持っていました。猫をもらって頂くのはうちの方なのに、と慌てた母は、彼らの帰り際、クリスマス用に買っていた「シュトーレン」をお土産に渡しました。ちなみにこのシュトーレン、改めて買い直して食べたところ、結構クセが強くて、外国味が好きな私にはおいしかったけど、父母には不評だったため、幼い姉妹には迷惑なだけだった可能性があり、母は非常に心配していました。彼女たちの舌に合ったかどうかは神のみぞ知る。さて、いよいよ、こねことご対面です。「わあー、ちっちゃい! 可愛い!」妹のルナちゃんが目を輝かせました。写真の印象より小さかったようです。こねこは突然の三人の来客に緊張して、猫が猫をかぶった状態になりました。「今は緊張してるけどね~、よく遊ぶよ~」「ホント!?」ルナちゃんが大きな目をさらに大きく開いて、確かめるようにこちらを見つめました。三人とも、すっかり子猫に夢中です。 「可愛いー! すっごく可愛い!」「お母さんが、トイレ砂を買ってきなさいって言ってたから、お父さん、帰りにお店に寄ってね?」はしゃぐ姉妹に、パパは抜け駆けをして、「ほら、見てごらん。お父さんが抱っこすると、落ち着いたぞ」わが子と対等に張り合って、こねこを自分のものにしようとしていました。話を聞くと、お父さんの実家がそもそも動物好きだったそうです。「オヤジが何でも飼う人でして……猫も犬も、にわとりやクジャクがいたこともありましたよ」だんだん慣れてきた子猫は、猫をかぶるのをやめて、部屋を走り回っており、すっかり姉妹をめろめろにしていました。もう、大丈夫だ。確信はありましたが、一応、規約通り、誓約書を取り交わすことにしました。 「じゃあ、これは、お姉ちゃんが書きなさい。ちゃんと責任もって育てるために」と、お父さんに促されたお姉ちゃんが、誓約書にサインをしました。身分証代わりの生徒手帳を預かって、私は免許証をスキャン。誓約書を完成させて、二通、お互いに保管することにしました。「では、本当にありがとうございました」「いえ、こちらこそ、本当に助かりました、ありがとうございます」お父さんの大きい手にがっちりと大切に抱っこされ、子猫は我が家から、新しいお城へ移り住んでいきました。*空になったケージを見て、「病気もなかったんだから、飼っても良かったんじゃない?」と言うと、母は、「いやいや! もらわれてよかったよ。次の譲渡会じゃ、さらに大きくなってるだろうし」と、慌てて返しました。「まぁでも、あの子猫が来て、気付いてしまったんだよ、今までダンのことを子猫だと思ってたけど、『あれ、ダン、意外とでかいな』って」 「そうなのよね、さらに小さいのが来ると……どうしてもそっちが可愛くなりがちでしょ。ダンが王子様の座から落ちるのはイヤだったのよ」「うちだと、愛情をセーブしながら可愛がるってことになるからね。だからよかった。あのおうちだったら、あの子もナンバーワン王子で可愛がってもらえるし、今日からアイドルだし、ダンもうちでのアイドルの座を守れたよ」 簡易トイレを捨て、ちゅうちゅう吸われた毛布と湯たんぽを洗い、ケージをたたみ。大変だったけど、ちょっと楽しかった時間も、一緒にしまいました。三人が帰って一時間くらいした頃、ミサキちゃんからメールが届きました。 「今日はありがとうございました。今、落ち着いてよく寝ています。 大切に育てます。        ミサキ」(エピローグへ、つづく)