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Cotorilla本館:エッセイ、イラストのブログ。
Secret Garden:占星術の話題用の別邸。

記事一覧(76)

三十年に一度の新月と、大片付けの話

平成が終わるのに際して、大規模な片付けをしようと一念発起した人も多いかと思いますが、そうしたムードの後押しもあってか、「こんまりブーム」が再来していると聞きます。しかしながら私自身は、平成の大片付けブームを二、三年ほど前に迎えてしまったため、これ以上捨てるものが無いのが実情です。書籍や服はちょっと溜まってきたから、また選別してもいいかもしれないけれど。2016年から2017年にかけて私は、ざっと数えて、「三辺の合計が140㎝サイズのダンボール約30個分ほど」の不要品を処分しました。それまでも定期的に片付け欲がやってくることはありましたが、これは流石に人生最大レベルでした。そしてこの欲が、2017年の年末を境に、ぱたっと消え失せてしまったのでした。その年の大掃除のやる気の出なかったこと、出なかったこと。ですがそれが逆に、星が示す「生まれ変わり」に向けた内なる欲求の存在をより強く実感させてくれたような気がします。2017年11月30日に私は、「プログレスの新月」を迎えました。「プログレスの新月」とは、「約三十年に一度やってくる、生まれ変わりのタイミング」のことです。詳しい説明は端折りますが、簡単に説明すると、プログレスの月とは、いわば体内時計であり、その時の心理的状態・興味・関心などを表すプログレスの月は、大体30年くらいでその人のホロスコープを一周するプログレスの月と太陽が重なる時を「プログレスの新月」と呼ぶ新月のタイミングは人それぞれ。10歳で迎える人もいれば25歳で迎える人もいる。ということになります。この「プログレスの新月」で人は、それまでの約30年のテーマを終え、次のテーマへ移行します。上皇陛下が天皇退位を発表された頃に、この新月を迎えられていますし、元関ジャニ∞の渋谷すばる君も、やはり新月期にグループを脱退されていたそうです。それほどにダイナミックな「変わる時」なのです。 プログレスの新月は、人生のテーマが刷新されるタイミング。それを迎えるにあたって、私が今まで持っていた物を全部捨てたくなってしまったというその心理の奥底には、結局、ちょっと悲しいけれど、「今までの自分を捨てたかった」というのが、どうしてもあったのだと思います。ダンボール30箱分の、たまっていたゴミを捨て、手紙を捨て、かつて好きだった本や服を捨て、最終学歴を除く卒業証書を捨て、ぬいぐるみを手放し、実家のクローゼットを空にしました。手放したものは、本や服に限りません。大好きだったアーティストの音楽は心を素通りするようになり、依存的な人間関係は清算され、久しぶりに会ったアシタカには全然魅力を感じることが出来ず、もう過去の男になったことを思い知らされました。(と、言ったら大学の後輩に「ひいいいいー! 先輩が違う人になった!」と驚愕された)バッサバッサと全てを捨てていく私を見ながら、「そんなに、何もかも捨てなくてもよくない?」と言う母は少し寂しそうで、胸が痛まないわけではなかった。それでも、なんだかもう、たくさん、たくさん捨てたくて仕方がなかったのです。何だか生きづらかったんですよね、地元にいる間。生い立ちに何かあるわけでも、いじめにあったわけでもないし、友だちにも恵まれた。ですから、「つらい」なんていうのは、ただの甘えた弱音で、口にしてはいけないと思っていました。でも私は、中学までの自分が嫌いだし、高校時代はストレスで壊れそうだったし、大学でも後悔がたくさん出来てしまったし、ずっと自分の姿にもすることにも自信がなくて、写真にもどう写ればいいか解らなくて、劣等感の塊で、あちこちで叱られてばかりで、手放しで幸せを感じたことがほとんどなくて、どこにいても浮いているような気がして、可愛くなくて、かたくてつまんなくて、みっともなくて、ダメなヤツだ、何も出来ないヤツだって、自分で自分を否定する言葉がいつも当たり前のように心の中にあって、そうやって、ずっとずっと、自分をいじめてきていました。片付けの波は、まず最初に「物」ではなく、「携帯電話のデータ」を整理していきました。ふとした弾みに、古い付き合いのデータを丸ごと消してしまったのです。一年以内にやり取りをした人や、どうしても取り戻したいデータは取り戻せましたが、登録データが3分の1に減りました。けれど、そこに後悔や残念な思いは、一つもありませんでした。そして、実際に「物」を減らす波は、この後にやってきました。人間関係の清算という、一番やりづらいことが済んでいるわけだから、勢いがついています。物を減らすということ、それは即ち、貰い物、買ってもらったもの、そして年賀状や手紙といった、後ろ髪を引かれるものをバッサバッサと捨てていくということ。「わざわざ、直筆なんだよね」「もう使ってないけど、せっかくくれたんだよね」「趣味じゃないけど、いいと思って贈ってくれたんだよね」そんな理由をつけて残しておいたものたちを「古くて使わない」「邪魔」「不要」という、「自分の意志」を優先して、捨てていきました。そうして、もうこれ以上無いくらいに片付け尽くしたその一番最後に、『使えるし、好き』だったはずのものを手放しました。それは、「自分で選んで手に入れたのではない物」たち。つまり、「自分で見つけて好きになったわけではない物」たち。それを手放して、私は、自分で自分の人生のハンドルを握り直そうと、そう決めたんだと思います。 *プログレスの新月を迎える一年ほど前の夏。職場のビルの下で、ものすごく大きな赤いイモムシが、のっしのっしと力強く這っているのを見つけました。ぎょっとして、一旦のけぞりましたが、こんなに大きくて、しかも赤い幼虫なんて初めて見たので、今度はおそるおそる身を乗り出して、その姿をじっと観察してみました。それから一年後。私はふとなんとなく、その時のイモムシが気になって、画像検索で正体を探してみるという、恐ろしい行為に出ました。検索ワードは、「イモムシ 赤い 大きい」。よほどの虫好きでなければ、正視に耐えられない光景が、ブラウザ一面に広がりました。「ぎゃー! うぇー!」と悲鳴を上げながら、それでも記憶を辿り、ようやく「あ! これだ!」と、見つけたあのときの幼虫の正体は、「オオミズアオ」という大きな緑色の蛾だということが解りました。オオミズアオの成虫は、幼虫時代のおぞましい姿からは想像もつかない、優しいエメラルドグリーン色の大きな翅を持つ、まるでティンカーベルのような、神秘的で美しい姿をしていました。そして、調べて解ったのは、オオミズアオの持つ秘密……幼虫時の彼らは、通常、力強い緑色をしているのだけれど、サナギになる直前だけ、体が赤くなるのだそう。つまり私が出会ったあの堂々たる様で歩いていた幼虫は、「大変容」のための眠りに入る直前だったのです。梨木香歩さんの小説「からくりからくさ」の中で、主人公の一人である紀久さんは、物語の終盤、それまで嫌悪していた大の苦手の「ヤママユガ」に、偶然とも必然ともいえる再会をし、それが繭から出て飛び立つまでの「命がけの変容」に付き合うことになります。そして、その時に抱いた思いを同居人の蓉子や与希子宛の手紙の中で、次のように記します。「生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。それしか許されず、おそらくまっすぐにそれを望むしか、他に、道はないのです。だって、生まれたときから、すべてこの変容に向けて体内の全てがプログラミングされているのだもの。幼虫の姿ではもう生きていけない。追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。変態を遂げた、大きなヤママユは、妖しいぐらいに美しく、この世のものとも思えないぐらいに優雅でした。本当に、あんなきれいなもの、私、見たことなかった。見たこと、なかった……」――梨木香歩『からくりからくさ』奇しくも、私が出会ったオオミズアオも「ヤママユガ科」に属します。私は今でも何となく思うんです。あの赤い幼虫は、神様の眷属で、私にこう言ってたんじゃないか――「私は今から、この体を脱ぎ捨てて、羽ばたいてゆく。おまえもな。」と。(お わ り)初出:2019年5月6日『第28回 文学フリマ東京』----------最後の文学フリマで出したのは、「星エッセイ本」でした。占星術に関するマニアックな話(というほど専門的もでもないですが)は、別館に掲載していますが、そこからいくつかを「星ネタが解らなくても読めるエッセイ」に変えて出しました。せっかくなので、ちょっと改訂して、ここにも掲載していきたいと思っています。今日のはその第一弾でした。

さよなら、文学フリマ

(もうほとんど読者様などいないと思いますが)気付けば半年のブランク。みなさま、ご無沙汰いたしておりました。別に何があったというわけではありませんが、まああまりやる気が出なかったという正直な理由で、ずいぶん長い時間が空いてしまいました。まずは5月に書きかけだった記事を再生いたします。*前回の文フリ後に「復活しました」と書いたばかりで、我ながらホントにひどいなあ……という自覚はありますが、5月6日 文学フリマ東京を以て、イベント出展は卒業することにしました。申し込み時点はもちろん、出展作業を進めている間も、そのつもりはありませんでした。が、作業大詰めに入って、どうしても「行きたくない感情」が湧いてくるのを止められないのを感じました。出展料も払っていたし、途中まではそれなりに燃えながら本も作っていたし、当日、多少トラブルに見舞われて遅刻はしつつも、どうにか会場に足を運んだわけですが、会場に着くや否や、「あ、もう、これで終了だな」と、腹が決まりました。これまで2度ほど、「やめるやめる詐欺」をしてきましたが、まあその辺は、私が宮崎駿ファンで、銀魂好きーということも鑑みてほしいわけですが(こらっ)、もう、「風立ちぬ」の後に「君たちはどう生きるか」を作るような真似は私はせぬぞ、と。「銀魂」の後に「銀魂’」なんてアニメは知らんぞ、と。(そういや銀魂最終巻が一昨日発売だったみたいですね)(余談)振り返ってみれば、2012年に地元九州からフライトで初参加し、以来、大阪も含めば年に2〜3回、ほぼ毎回新刊を出し続け、スランプに見舞われたりもしながら、地味によく頑張ってきたと思います。ビッグサイトで行われるような大規模イベントが苦手な私にとって、文学フリマは、ちょうどいい規模で、出やすかったです。ただ、毎回、薄々感じていたのですが、私にはやっぱり、「同人イベント」そのものが合っていなかったようです。今回、ようやくはっきり観念しました。そんな性質でありながら、これまで出続けてこられたのは、毎回、素敵な出会いがあり、嬉しいお言葉を頂けていたから。本当にたくさん、いろんなことを教えてもらい、自分の作るものが、どう受けとめてもらえるのか、学ばせてもらいました。リピーターになってくださった方々も、本当にありがとうございました。いつもお話がとても楽しかったです。いつも一人で落ち着かなく座っていましたが、声をかけて頂いている瞬間は「やっぱり来てよかったな」と思うことが出来ました。創作そのものをやめるわけではないと思いますが、それを「頑張る」ことは、もうしません。冒頭に書いたように、ちょうど今は、ヤル気に満ちているわけでもないので、ぼちぼちなペースで。気長に、呑気に、漫画描いたら載せて、文章がひらめいたら書き散らして、そんな感じでずるずるここは続けていこうと思います。気が向いたら、覗きに来てくださいね(*´▽`)ノ

占星術関連記事は独立しました

ノインゼもそうだったけど、キャトロも当初の予定からどんどんキャラクターが離れていく……キャトロちゃんは本来、「優等生・おしとやか・チームの後輩に片思いされてる素敵な上級生」みたいなイメージの子にしようと思っていたんですけど、……なんか気づいたら、ちょっと『妄想オタク女子』化してきてる……(笑)それにあわせて、髪型も変わってくるかも???それはさておきまして。年明けにようやく、占星術関連記事を切り離し、別ブログとして独立させられました。ご報告が遅くなりまして、申し訳ないです。ブログタイトルに悩みまくっていたため、オープンが遅れたのですが、いろいろ考えて、キャトロちゃんに『庭師』を任せよう、と。というわけで、占星術ブログは『キャトロの星の庭』としました。私にとって占星術は完全に「趣味」としておきたいので、研究ブログではなく、「占星術を分析の骨子とした、エッセイブログ」にするつもりでした。ですのでオープンした際の挨拶にも、鑑定を行うわけでもなく、質問を受けてお答え出来ることがあるわけでもありません。全体的に、エッセイ調、また自分の出生図やトランジットの検証が主になります。ってバッチリ書いたのに、開設後、最初の記事が、「NON STYLEの星を読む」(しかも連続3回)ですよ。自己分析どこ行った。完璧にただの星研究やないかい。相変わらず、「言ったことを外して、何かをしたくなる」という、我ながら素敵な性格……。<記事一覧>NON STYLEの星を見る〔1〕いのちゃんといしっちNON STYLEの星を見る〔2〕井上くんは王の星?NON STYLEの星を見る〔3〕ご縁のふたり*このCotorillaが本家で、あちらはあくまで「庭」というか別邸扱いなのですが、しばらくは、庭の更新の方が多いかもしれません。というのも、次の文フリで占星術エッセイを出すつもりだからです。占星術エッセイと言っても、売る際には、「星のことを何も解らない人でも読めるような、完全読み物」に編集し直します。そのあたりはまた、文フリが近づいたら、ここでもお知らせします。星の地図に書かれているのは、人生の設計図だから。ですので、星という骨組みを借りて、自分の物語を整理させてもらおう、と。そういうコンセプトで作るつもりです、が、どうなるかなあ。いかんせん、「言ったことを外して、何かをしたくなる」という素敵な性格ですから(笑)ノンスタの記事は多分載らない(笑)なお、こちらCotorillaは、オルファたちの世界のおはなしやラクガキ占星術以外のエッセイが今後もメインになってきます。そんなわけで、占星術ブログ「キャトロの星の庭」。こちらもご覧頂けるとこれ幸い。

移動準備中です

寒くなってきたので、暖かそうな絵でも……(笑)これを描いてた頃は一番勢いがあったなぁ。4年くらい前のラクガキです。現在ブログを「創作系の本家」「占星術の分家」……と分けるべく、工事作業まっただ中です。こちら本家Cotorillaは、日常エッセイ的な記事、イラスト、本づくりの話題。占星術含め、不思議っぽい話は全て、分家(秘密の庭と呼んでいる)に移動します。移動し始めて気付いたのだけど、分けると占星術の記事がヒジョーに書きやすい(笑)今までは、占星術知らない人でもちょっとは触れられるように、説明を噛み砕くなどの努力をしていました。で、結果、記事が回りくどくなってたけど、専用サイトに移して、好き放題書き始めたら、大分スッキリした文章になってきました。近日中には、工事を完了して、分家も一緒に公開したいと思います。しばしお待ちくだされ。*ただいま、仕事が混迷を極めています。かいつまむと、「人間って、ホンット、保身と利己主義に容易に走るんだよな!」と、叫びたくなる案件に直面中。この辺、多少ずるくとも折り合い付けていける人が楽なんだろうなぁ〜私はそれが出来なくて前の仕事も辞めたけどなぁ〜でもその「楽」の果てが今、世間を騒がせている事案に発展してるんだろうなとも思うけどなぁ〜この「折り合えない」という感覚がやってくるということは、もう、賞味期限切れかもしれないな、今の環境の。webでもリアルでも、移動準備中かもしれない。ううーん。

復帰戦:文学フリマのお礼

上記は、原稿作成中の、荒ぶる私のTwitterです。制作活動中は、これが通常運転なんです。が、現在のアカウントは、私の創作時の様子を知らない方々がフォローしてくださってるので、かなり戸惑われた(っていうか引かれた)んじゃないか、心配です。改めまして、11月25日(日)、『第27回文学フリマ東京』、ブースにお立ち寄りくださったみなさま、そして本をお買い上げくださったみなさま、本当にありがとうございました。文フリ参加自体は1年ぶり、そして、純然たる新刊は、実は、3年ぶりでした。(イラスト集とか、無料配布の片付け漫画は作っていたけど)自分で振り返ってみて、そんなに本出してなかったか!?と、ビックリしました。それだけ、スランプが重症だったことを実感させられます。前回……つまり一年前は、新刊はないとは言え、在庫は持ってきてたし、ブースの見栄えも大して変わらないはずなのに、やはり纏う空気や、やる気というのは、何となく伝わるものなのでしょう、ぶっちゃけて言うと、そのときは全然売れなかったし、ブースに来る方もいなかったです(笑)が、今回は、まさに復帰戦、という感じ。久しぶりにお会い出来た方もいっぱいいたし、ブースのにぎわいも、3年前の、頑張って作れていた頃に並びました。例え30ページそこそことはいえ、漫画を描くというのは、まぁ〜なかなかエネルギーが要る作業。私自身は漫画家向きではないと思いますが、「漫画」という、濃いメディアを一つどんっと生むことが出来た、そのことが「復活」の実感をより強くしてくれました。たびたび書いていますが、このスランプは、本当〜〜〜に、辛かったです。星の動きについてをかじってるだけに、「これはそのうち抜ける、これは今だけだ」と、解ってはいる、解ってはいるけれど、時間だけはどんどん経つわけで、焦る心は止められない。以前も書きましたが、こういうとき、助けてくれるのは、土星だな、と思います。つまり、「コツコツ、地味にやる」という姿勢です。まずはブログを毎日書く、ということを課し、続いて、漫画の〆切に向かって持久走をせざるを得なくした。それは、それなりにキツイことではあるけれど、坦々と走っているうちに体が温まってきて、ペースを取り戻していたように思います。

「パウエル」が追ってくる

「イキリ」が何か解らない東の方は、NON STYLEの漫才で意味をお調べください。ということは、今日のノインゼ兄さんのポジションはイノエルか。でも、どっちかって言ったら、ノインゼがボケで、ルナがツッコミだと思う。*最近、「パウエル」という名前に囲まれています。事の起こりは、上で書いた、「NON STYLE」です。ここしばらく、彼らにドハマリしているので、その日も私は動画を漁っていました。その中に、「野球」という漫才がありました。石田「4番 サード パウエル」井上「イノウエや!」っていうあれ。私はゲラゲラ笑っておりました。特に「はつお—————ん!!!」のところの井上は可愛いと思います。このとき私は、まだ、これが、「パウエルが追いかけてくる日々の始まり」だとは予想だにしていませんでした。翌日。私は電車の中で、梨木香歩さんの小説「僕は、そして僕たちはどう生きるか」を読んでいました。その中に、「ボーイスカウトはもともとイギリスの軍人、ロバート・ベーデン=パウエルが言い出したことなんだ」という台詞がありました。私は「……またパウエル出てきよった。変な偶然だな。」と思いました。同日。職場で回ってきた広報誌の表紙に、「ショーペンハウエル」とありました。私は、「○が足りないけど、なんか仲間みたいなのが登場しよった……」と、次第に忍び寄るパウエルの足音を、ちゃんと意識するようになって来ました。その数日後、すなわち先週末。私は神奈川に住む小学校の頃からの友人宅に、泊まりに行きました。友人がご飯の支度をしてくれている間、テーブルの上に置いてあった新聞を読んでいました。「米国 国連大使後任 パウエル氏辞退」という記事が目に入りました。私は「……またパウエル……」それ以上何も言えませんでした。その翌日は、箱根に連れてってもらうことになっていました。友人の持っていた箱根ガイド本をぱらぱらと見ていると、「箱根パウエル」というホテルの紹介が載っていました。私は「パウエ—————ル!!!」と、心の中でノンスタ石田さんばりに叫びました。「行きたいところ、決まった~?」お風呂から出てきて、朗らかに尋ねる友人に、私は恐る恐る、最近の連続パウエルの話をしました。私「Aちゃん(※友人)……最近、かくかくしかじかで、パウエルに囲まれてるんだけど……」友「……出会っちゃうんじゃない……? パウエルに……」私「……出会うのかな……」*このように、パウエルに取り囲まれているので、とりあえず、「パウエル」の意味を調べてみました。【語源】「Howellの息子」の意。また、Paulの変化形。(英辞郎:アルク)だそうです。また、「Howell」は、「太陽」とか、「高貴な」とかって意味だとか。(wikiより)ウェールズ起源の名前だそうです。というわけで、今後も、まだパウエルがやってくるか、経過観察中です。なお、上の由来にならえば、今日の絵も、ある意味で、パウエルです。今日は、ただこれだけの日記です。オチはありません。

あなたは強いから、なんて言わないで

昨日、うちの、緑色の子たちの写真を載せてから、なんとなく、それぞれの育て方をちゃんと調べ直してみました。今までは、どれも、大体の顔色を見ながら育ててたのです。土が乾いてるから水がいるかな~、とか、葉が黄色くなってるから日光当てすぎかな、影に置こう~、とか。まあ、それ自体はいいとしても、やっぱりちょっと調べが足りなかったらしい。育て方を改めておさらいした中で、『元気を装いながら、耐えていた子』がいたことが解りました。その名は「ガジュマル」。気根もぐんぐん伸びてるし、新芽も出てる。よしよし、よく育ってるぞ~なんて、油断していたのですが、なんか葉焼けが気になるのよね、と調べてるうちに、幹のしわしわは老化じゃない、水不足だったのだ、ということが判明。プリケツも年取っちゃってババケツになったのかな~とか言ってて本当にごめんね。今日から私と一緒にお肌に水分補給しようね。大丈夫だよ、まだ手遅れじゃないよ、お互い_:(´ཀ`」∠):アイビーも日が強すぎたみたい。ちょっと影に移動しました。油断して、適当に扱っているうちに、結構傷つけていたんだなぁ。大切にしてあげられてなかったなぁ。大丈夫そう、とか、少しのことくらい平気そう、なんて、勝手に決められると、悲しくなるのは、人も植物も、一緒かもしれない。あなたは強いから、なんて言わないで。強くいようとして、がんばってるんだから、と。