さよならBUMP〔1〕/ 青春の扉

ピアスデビューをしに皮膚科に行く予定だったのを、2週間延期することにしました。

というのも、10日後に大阪に行くことになったからです。

なにも旅行中(一泊だけど)、耳を危険に晒す必要はないんとちゃうか、と。


大阪でのご用事は、BUMP OF CHICKENのライブです。
ギリギリまで行けるか怪しかったんですが、相棒が割とすんなりOKしてくれたので、これをファイナルに、参加することにしました。


そう、きっとファイナルです、自分の中で。


私は、何でだか、もう、BUMPに何にも感じなくなってしまいました。


別に、嫌いになったーとか、藤くんの才能が枯渇したって思ってるーとかじゃないです。
飽きたとか、そういう薄情な感じでもないです。
私は、容易にいろんなものを好きになれないので、好きになったらめったに離れません。
だから自分が一番「なんで? なんで?」と、この心境の変化に首を傾げています。
けれど、昔はそれこそよく「心臓にダイレクトに流れこんでくるような」と言っていた藤くんの声が、今では心の幹の部分を素通りしてしまいます。


確かに、近年のシングル曲で、何か傍観的になってしまう部分はありました。
「いや、もう、“心臓”と“空っぽのかばん”はやめようか」(どの口が…)とか、
「藤くんは、いつまで歳をとらないのだろう」とか。
藤くんの歌詞は、もちろん多少の変化はありますけれども、でもいつまでも若いですね。
それは芸術家(アーティスト)として、とてもいいことかもしれない。
新しく彼に出会う、自分の感受性を持て余す時間の中にいる十代や若い二十代は、たくさん救われるかもしれない。

でも、私はもう、そこにはいませんし、
歌から響く以上の想いを知ってしまったし、
「持て余している自分への救い」や、「夢を追う苦しさや情熱の痛み」だけじゃなく、
「人生に横たわるどうしようもない切なさからわき上がる救い」を歌えるようになれたらいいのに……まだ「自分のことだけを考えていればいい時代」で止まっているようだ……なんて、
つい、そんなことを思ったりもしました。



でも、一番の「理由」は、私が、「一つの時代を終えようとしていること」かもしれません。


たぶん、BUMPは私の「青春」の象徴的なBGMだったのでしょう。


私の切羽詰まった「想い」の後ろではいつも、藤くんの歌が流れていました。


そして、その切羽詰まった想いは、今、サナギが蝶になるように変化を遂げようとしていて、

解放のときを迎えようとしていて、


だから私は、自分の青春の象徴に、さよならを言おうとしているのかもしれません。


BUMPの歌は、大切だった時間を、言葉という形にぎゅっと詰め込んで、

それを旋律に載せて奏でてくれているようでした。


不思議なくらい、そのとき抱えている想いはもちろん、

状況と重なり合う出来事が繰り返されました。


きっかけをくれたのも、魔法のチケットになってくれたのも、BUMPでした。

そして、守り続けていたその想いは、もう、私を閉じ込めはしなくなりました。


だから、ありがとうをたくさんこめて、さよならが言いたいのです。

愛をたくさん込めて、手を振りたいのです。

青春の扉が、後ろで閉じるのを静かに感じながら。


藤くんの作った歌は、ちっぽけな私という人間の、人生の大切で大切で仕方ないひとときと、確かに共に響き合っていました。
美しい時間に、美しい旋律と、熱を帯びていながらも優しい歌声と、涙を逃がしてくれるような言葉を加えてくれました。


何度も奇跡が起きました。


青春の象徴がBUMPで、本当に良かった。


例えBUMPをもう聞かなくなったとしても、日記を開くたび、私はそう思って、微笑むことが出来る、そんな気がします。


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