さよならBUMP〔3〕 / 貰った『自分』の使い方

「BUMP OF CHICKENが好き」って言うと、「じゃあ、RADWIMPSも?」って聞かれるのが普通な時代がありませんでしたか? 私は時々聞かれました。

RADもちょっと聞いてたことがありますね。でも、すぐ飽きました。歌詞が青すぎて肌に合わなかったんです。
勧められて、いろんな同系統の曲も聞いてみたこともありましたが、結局どれも自分の中に定着しませんでした。 


私は別に、バンド系が好きというわけじゃなかったようです。 
私の中ではBUMPとマッキー(槇原敬之)が二大巨頭だったのです。
BUMPとマッキーとは、また系統が全然違うように見えると思いますが、私の中では「言葉がくれる感銘」という一点が強く共通していました。 


BUMPは、まだ形になり切らない、柔らかい感情への共感として。 


マッキーは、普遍的な人間愛への讃歌として。


もちろん、言葉がくれる感銘の「大きさ」は共通していても、そこからもらう感情の伴う「色」は大分異なっていました。

BUMPには、たぶん、恋に似たような気持ちで、

マッキーには、たぶん、家族愛のような。

変な話、BUMPが誰かとコラボ、とか、メディアへの露出とか聞くと、若干複雑な気持ちが生まれたのに、マッキーが誰かとコラボするとか、対談するとか聞いても、「いいよ〜、マッキーが幸せなら、なんでもいいよ〜」って気持ちでした。

BUMPを聞いてると胸が高鳴り、マッキーを聞いてると胸が落ち着きました。 



マッキーはいつぐらいから好きになったのか、よく覚えていません。
なんか声と曲調がいいな、くらいに思っていたのが子どもの頃でした。
その後、彼は薬物で取っ捕まり、復帰してからはそれまでのラブソングから一転、人生の心髄を求めるような歌詞を書くアーティストに生まれ変わりました。
復帰第一作アルバムの表題作「太陽」は、彼の歌の中で最も素晴らしいものだと私は思っています。 



藤くんとマッキーは、私にくれる感情の色だけでなく、言葉の方向性も大分違いましたが、ただ、それでも行き着く先は同じだなぁと、私は勝手に思っていました。

「 誰かの為に生きるという 思いを込めた旗を抱き

拾ってきた笑顔の中に 自分の笑顔だけ見当たらない

いつか聞こえた泣き声を ずっと探してきたんだね

少し時間が掛かっただけ 自分の声だと気付くまでに 」

(BUMP OF CHICKEN “fire sign”)


誰かを救いたくても、自分を生きてからだ。
命と目的の始まりが「自分にあることを認めてから」歩き出す藤くんと、 


「 結局 僕はそんなことを何度も繰り返し

最後には何も見つけられないまま

ここまで来た道を振り返ってみたら

僕のあげたものでたくさんの人が幸せそうに笑っていて

それを見たときの気持ちが僕の

探していたものだとわかった 」

(槇原敬之 “僕が一番欲しかったもの”) 


まるで、もう十分生きた、自分はもう、十分もらったから、
「自分なんか、もう無くても構わないと思う『自分』がいる」、
そんな風に見えるマッキー。


正反対のことを歌っているようですが、共通するのは、視線の先には「もらった『自分』の命に、限りなく誠実に向き合う姿勢」があるんじゃないか、ということです。

生き方も、行き方も異なっても、命への取り組み方は、同じではないか。

純粋な「始まり」がBUMPにはあって、

同じくらい純粋な「終わり」がマッキーにある気がする。


やっぱり勝手だとは思うけれど、私はずっと、そんな風に感じていました。

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