上京を決めた日

たぶん、鹿児島という「遠方からの上京」ということによる効果に加えて、年齢的なものもあってか、「思い切ったね!」と言われることが度々あります。
そして、そう言ってもらうたびに、「そうかなぁ」と、軽く首を傾げていました。


前の仕事を、労働者戦争に巻き込まれて辞め、その後一年間、「いい年こいてモラトリアム」として過ごし、その懊悩の果てに、上京した私。
確かに、あてもないまま飛び出したといえばそうですけれども、仕事はなんだかんだ言って、新卒と違って、まずは出てこないことには、見つけることも困難なわけですし、
そして何より、鹿児島にあれ以上居るという選択肢の方がもう、無理だったわけだから、「思い切った」というより「なりゆき」でした。


鹿児島が嫌いなんじゃなくて、

都会が好きなんじゃなくて

でっかい夢見て飛び出してきたわけじゃなくて、


結局、金属疲労みたいなもんだったんです。

違和感です。

カンです。

崩れたんです。

魂がそう言っただけです。


在職中は、

「ピータン社(※社長のあだ名に沿って、前職の社名を以後、こう書きます)にいる自分

=学歴至上主義の仕事に従事する自分

=地元に居る自分

=なんかちがう」

と、緩やかに首を絞められるような苦しさの中で悩み続けていました。

でも、そんなぼんやりした迷いを人に話そうものなら、

「で、辞めてどうするの?」

「社会って、そんなもんよ?」

と言われるのがオチでした。まぁ、そらそうですわ。



その昔、新卒で入社した旅行会社を辞めたくて苦しかったときは、「堅実に生きられない」という思いに責められ続けました。
「辞めるか否か」という問答に於いて、戦う相手は他の誰でもない、自分自身でした。

そして、危うく心が折れてしまう寸前まで行っていたことを見ていた周囲は寧ろ、辞めることに対し、背中を押すくらい寛容でした。


ですが、ピータン社のときは、逆でした。
家族も、知人も友人も、その多くが厳しい意見と疑問を投げかけてきました。
旅行会社の頃と比べて、実家暮らしでしたので、恵まれているように見えたことも一因かもしれません。
実際、甘えたことを言っているようにしか見えなかったのだとも思います。
旅行会社が急性胃炎なら、ピータン社は慢性胃炎みたいなもの、と言えばいいのかもしれないな。


魂の違和感なんて、本当は本人にしか解らないものです。
他人に理解を求める方が土台、間違っているのです。
共感を強要する資格なんてあるはずがありません。
大人であればこそ、つまり社会を回していく一員である自覚を持っていればこそなおさら、「辞めたいの」に対して返す台詞は、「社会ってそんなもんよ?」以外にないのです。
エヴァンゲリオン新劇場版の中でミサトさんはシンジくんに、
「人のことなんか関係ないでしょ! あなた自身が決めなさい!」
って言っていましたけど、そうは言っても、こぼした言葉に「正論」に溢れた「大人」な「叱咤」で返されるのは、案外、心を挫くものです。
進路を決める時、他人にアドバイスを求めると思いますが、親切心から溢れ出る、鋭すぎる正論が響き渡る中、魂の呼び声を聞きとって、一見すれば間違っているようにさえ見えることもある「本当にとるべき道」をつかみ取れる人が、どれだけいるのかと思います。



上京する前の年の私は、蠍座に試練の星・土星が来ていて、雑誌とかでよく見る一白水星とかなんとかいうアレでも最下位で、四柱推命でも散々な年と書かれていて、さらに天中殺とかいう、なんだかよく解らないけど、とにかく、そういう年でした。

そして、そんな「大低迷」が何によって現れていたかといえば、
「心がぐっちょぐちょに汚れた」
ということかもしれません。



その頃の私は、人間が大嫌いになっていました。



ピータン社を辞めた後は、「ネガティブは運気を下げる!」ということをバカみたいに自分に言い聞かせ、努めてポジティブにしていたにもかかわらず、その秋のある事件によって、心がガタタタタタッと落ち込む事態となり、そこから冬の間は毎日毎日、泣いていました。 

なんだか、世界の全てに裏切られた気がしました、あのとき。 


夢から覚めたら、残酷な現実が置いてあるだけでした。


ポジティブなんて、心がけたところでどーにかなるもんでもないな、とよく解りました。


行き先が決まるまで、と、息をひそめるようにして居た家に、居場所がないという実感は、加速度を増して襲いかかってくるようになりました。



友達の声も聞きたくなくなりました。


友達の罪なき優しさが私の幼さと愚かさを日の下に晒し、踏みつけていくように感じられました。


そして何より、そんな風に感じる自分が汚く思えてイヤでたまらなくて、初詣で「綺麗な心で生きられますように」とお祈りしたくらいでした。




世界に裏切られて、家ではお荷物になって、


自分は、大人になったみんなから置いていかれた欠陥品だという絶望にまみれ、


友達にもバカにされているような、あるいは哀れまれているような、そんな被害妄想を抱き、


そんな感情を抱く自分を繰り返し断罪して、えぐるような自己嫌悪で溺れました。



あれは初めてだったなぁ、人生で。
そんな風に思っている人は、誰もいないのにね。解っているのにね。
けれど、些細な「心配」や「叱咤激励」が傷口にキンカン並みの響き方をしてしまっていました。
これはもう、完全な言いがかりです。
けれど、そういう心の状態に陥ることが、あるんですね、生きていれば。

それはもう、受け入れてあげたいと思っています。 




東京に出る、ということを、そのとき定期的に話をしていた絵描き仲間と、元同僚以外……つまり、学生時代の友人たちの誰にも言わず、SNSなんていう、そっけない手段を使って報告したのも意図的でした。
「厭世的」という言葉の意味を体感しすぎていたと思います。
今となっては、バカだなぁと思いますが、あれ以外に報告の手段は、私にはありませんでした。
「私の転機など、それぞれの人生を生きている友人にとって、取り立てて報告するようなことではないだろう」と。
捻じ曲がって拗ねて冷えた心で、本気でそう思っていました。 



ここには、もういられない――その思いが飽和状態になっていた丁度そのとき、フジテレビの「ノンストップ」という番組で、「実家に寄生する『独身実家族』」という特集を組んでいるのを目にしました。
そして、その日の夕方、買い物から帰ってきた母が、「はぁっ」とため息をついた、それを聞いた瞬間でした、 

「あぁ、もう、出ていこう」

そう心が決まったのは。




フジテレビと視聴者がなんと言おうと、「いい年こいて、親と同居」という事態を、一様に悪いということはないと思います。
みんな、いろんな事情があるのです。
それを十把一絡げに「あり得ないwww」「クズwww」と嘲笑う浅はかさこそが、本当の意味で哀れなものなのです。


でも、私には、何の事情もありませんし、何より如何なる事情を訴えたところで、「意地の悪い世の中が自分を笑っている」ということは、
そして、それが「世論だ」ということは、
それだけは、現実なんだ、と思いました。
そして、私は結果的に、それに背中を突かれたのです。
母のため息に関しては、先生の研究室に挨拶に行ったときに、たまたまそこにいた院生に、「お母さんは、買い物の荷物が重かっただけかもしれないじゃない!」って言われましたけれど。



そこからは流れるように動くだけでした。
以前から見当をつけていた東京の不動産屋にアポをとり、物件見学へ出発する前夜、母が風呂に入っている間に、こそこそとタオルやらシャンプーやらの宿泊準備をし、出発の朝、屋根裏を開けて、小型スーツケースを取りだそうとする私を見て母に、「日曜の朝から何してるの?」と問われ、


「ちょっと東京行ってくる」

「は?」

「家、決めてくる」

「えっ!」


そしてそのまま、二泊三日の上京で家を決め、ちょうど一ヶ月後から入居するという手続きを取ってきました。
つまり「半・家出」みたいなものだったのです。
驚きはしたけれども、いいオトナになっている私の決断に、父と母は強く反対することもなく、そしてそのまま空港まで送ってくれました。母は少し、泣いていました。


私の決めた物件は、身軽に入居も退居も出来るようなところですし、出発直前に父は、「(住居の)半年契約が済んだら帰ってきたらどうか?」と言っていました。

母も直前まで「行くの、やめれば?」と引き止めたい様子でした。

学生時代から馴染みの塾の先生たちも、「うちで働けばいいじゃん」と言ってくれました。 


逃げ道はあります、ありがたいことです。本当に恵まれていると思います。


でも、環境が整った今、気持ちはどう向いているかと問われれば、答えは一つです。




帰りません。




「思い切ったね!」と小さく驚かれる行動は、ただ愚かさを示すことになるだけではないのか……それが何より怖かったけれども、今、得ている幸福感が「答え」だと、頷いてもいいのかもしれない、そう思います。

何より、家に居たときに最も苦しかったこと……「私が私を生きていない」という思いが、今、どんどんと消えてゆくのです。

みんな、大人になっていくのに、私だけがいつまでも子どもで、みんな、自分の人生を生きていくのに、私は「好きなこと」を頑張る気力さえ見つけられない、そんな訳の分からない苦しさが、どんどんと消えてゆくのです。


バカみたいだけれど、くだらないことに見えるけれども、

私は、出来ないことが一つずつ出来るようになっていくことが、今、とてもとても嬉しいのです。




合わないことを続けることをもう辞めたいと、叫びだしたいくらいに願う気持ちは、
それでも命を脅かすほどの危機感は持たさずにいて、
私は再び「堅実」という呪いにかかっていた。


けれど、確かに、魂は蝕まれていたのだろう。


それを証明してくれたのは、ぐちゃぐちゃに涙でぬれた言葉が溢れた日記帳と、

「運命の歯車」だけだった。



何の因果か幸運か。

もちろん、労働者戦争の最中は、気がどうかなりそうなほどにつらい思いをしましたけれども、そしてふるさとから押し出されるほど、切羽詰まった思いもしましたけれども、結果、道を先へと伸ばしてもらえたわけですから、生ぬるい同情こそ示さずとも、やっぱり神様はいる気がします。
……というのは、会社を辞め、散々みじめな一年を過ごし、それを経て、ようやく幸福を再び感じられるようになった今だからこそ言える言葉ではありますが。


解決の仕方は人それぞれ、人の数ほどあるでしょうが、私の場合は、傷も、それを負った原因も、正面から見据えて問いただす、というやり方しかないようです。
もっと器用で上手な生き方もこの世には在るのかもしれませんが、そしてそれを「器用だ、上手い生き方だ」と褒め上げてしまえば、自身が傷つかずに済むというずるさ故にそうして言っているわけではなく、実際にそうした方法は存在すると思うのですが、それでも、納得し得ないこととは、正面衝突してでも徹底的に戦うしかない、それが私の解決の仕方なのです。きっと。



目を覆ってしまえば、全ての色に影が差す。


本当の色を見つけたければ、顔をあげなくっちゃあ。


何をしに来たの、この世に。


ああ、そうだ、生きに来たのだろう。


同じ時間の中にいても、眼差しの高さで見えるものの量も深さも変わるというのなら、


背中を丸めてうずくまっている暇なんて、本当はあまりないはずなんだ。


起きたことを、見つめていこう。


泣いてもいい、時にはふて寝してもいい、


その涙で溶かした絵の具で、時間のある限り、


たくさんの色彩を命の中に塗っていこう。



豊かな色が溢れる人生を生きよう。



この世に来た意味に、誠実でいよう。




そう、思います。


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