こねこのケンシロウ〔あとがき〕

動物と人のあり方については、いろいろ、いろいろ考えます。


無責任に飼い、無責任に増やし、放棄することへの憤り、そして法の軽さへの悔しさもそうですが、それ以外にも、この国では、知らされていない問題が深くあるように思います。


正直なところ、私たちもこの時はたまたまこの子を拾い、奔走しただけで、こうしたことに詳しいわけでも、高い意識を持って積極的にボランティアに参加したことがあったわけでもありません。
実際、ケンシロウを拾って新しい家を見つけた後、わたしたちは、「もっと早く保護してあげればよかった」と、後悔しました。いくらでも方法はあったんだから、と。


ただ、本音を言えば、例えば芸能人がテレビで、
「うちの、××種の○○ちゃんです~」
なんて言いながら、品種改良されて、洋服を着せられた、血統書つきの犬や猫を連れてくるのを見ると、私の中での彼らの好感度が一気に下がるのも事実です。



その「家族」が「ブランド」である必要はあったのでしょうか?


人間の「可愛いー!」を満足させるために、無理やりな品種改良をする必要はあったのでしょうか?


芸能人の「高級な」愛犬・愛猫、バラエティ番組での「人気の種類ランキング」……それらを見るたびに、そう心の中で呟いていました。



病気や先天的なもので言えば、今回の件で解ったように、野良猫譲渡会でも、非常に厳しい審査をもうけておりますし、人間には伝染しない病気であれば、一匹飼いをするのに何も問題はありません。
ミサキちゃんのお母さんが言ったように、悪質なブリーダーも多々存在します。(私の叔母がブリーダーから買ったパピヨンは、来た当初から儚げで、やはり早世しました。)



今の日本のペット産業は、「生き物を、人間にとって都合のいい売り物」にしているのが現状ですので、私はショッピングモールなどのペットコーナーでも、「可愛い~!」なんていう華やいだ気持ちで立ち寄る気には、到底なれません。



この子たちは、もし、売れ残ったらどうなるのでしょう。



私たちが今回、この子猫のことで危惧したように、「大人になるほど、飼ってもらいにくくなる」し、そもそも、飛び跳ねて、走り回って、遊ぶのがあんなに大好きなあの子たちが、売れるまでの間、ずっとあの狭い場所に閉じ込めらて、見世物にされているんだと思ったら、気持ちが重く苦しくなります。



日本は他国と比べて、動物に関する意識が、先進国の中でも特に低いレベルにある国のように思われます。
私もまだまだ聞きかじりの情報しか持ちませんが、西洋諸国の状況と比較すると確かなようです。



このエッセイを初めて出した当時……つまり三年ほど前、私はツイッターのアカウントを持っていましたが、この時はちょうど、定期的に引き起こしていたSNSアレルギーを発症中でした。
(このアレルギーはあまりに頻発するから、本の宣伝媒体になるものを無くすのは惜しかったけど、今は一切のアカウントを持っていません。)
このアレルギーを起こしていた理由の一つに、「リツイート(RT)」というものがありました。
他人のツイートを横流しする、あのシステムです。
STAP細胞にまだ疑惑が生まれる前のこと、都内の女子大に通うフォロワーの子がある日、


「年間数万人が自殺している現状で動物愛護を叫んでいるこの国、まじパンク」

というRTを流しました。
その直前にこの女の子は、小保方さんたちの動物実験器具が可愛く「デコレーション」されてることを揶揄した発言をRTもしていましたから、それに対する反論のつもりだったのだと思われます。
彼女はそれまでも、小保方さんが『女性』であることを誇張された報道をされていること、男性研究者と対等に扱われていないということに憤ったツイートを度々流していましたから、この時も、おそらく、女性研究者の立ち場の尊重を訴えようという意図があったのではないかと推察しています。


もちろんRTは、所詮、人の意見の引用に過ぎず、かつ、そこの部分だけ流されても、RTをした本人が何を言いたいのかが明らかでないため、結果、彼女は私の中に非常に晴れない(というか、早い話がうんざりとした)気持ちを残してしまったわけですが……いえ、小保方さんやTwitterのモラル云々の話は、今はどうでも良いこと。結局、何が言いたいかと言いますと、


「自殺者が多い国で、動物のことを考えている余裕があるのか」

ではなく、

「動物のことにも考えが及ばないような余裕がない国だからこそ、自殺者数も減らない」

のではないかと、私は思っています。
日本では、フォアグラがどれだけ惨い“作られ方”をしているかを知っている人の方が少ないと思いますが、洋画を見ていると、「フォアグラは動物虐待よ」なんて台詞が当たり前のように出てきます。
動物愛護とエコロジー大国であるドイツのほうが日本より幸福度が高そうに見えるのは、隣の芝生の青さだけが理由ではない気がします。


ペット産業に疑問を持たない人が大多数なのは、疑問を持たない人が冷たいから、などというわけではないと思います。
たぶん、この国では、極端に情報が絶たれているんじゃないかと思うんです。
私の身近なところにもペットショップから犬猫を買っている人もいて(そのことで実は議論になったこともあったのですが)、うちではケンシロウより前にも何度か、我が家に迷い込んできた野良猫たちの貰い手を見つけたことがありますが、その子達を迎え入れてくれた人の中にも、「ペットショップをキャンセルして、もらいにきた」という人もいました。
なにかしらのこだわりがあってペットショップを選んでいるとは限らず、日本では、ペットショップが「アタリマエのように許容されてしまっている産業」なのでしょう。



——この子たちは、もし、売れ残ったらどうなるのでしょう——



そんなことはないと信じたいですが、「殺処分」や「動物実験に譲渡」されていることがあると耳にしたことがあります。悪質な「引き取り屋」の存在も明らかになりました。
それは、「産業」だから?
あるいは「規制」が追いついていないから?
規制があったとしても、簡単にかいくぐれてしまうのか……?



ペットショップの子も、ノラの子も、同じ、命のある、可愛い、可愛い子たちです。
私は、自分に出来る一番身近なことは、「この残酷なペット産業を肯定しない」という意思表示だと、今のところは思っています。(最近では、保護団体への募金も始めました。)
法的規制が追いつかなくても、また、ボランティアなどの積極的な活動はハードルが高く感じられても、
「ペットショップからは買わない」
「血統書にこだわらない」
これらが当たり前になったとしたら、日本の状況も変わってくるんじゃないか、と……。
それもまた、犠牲を踏み台にしてのステップアップには変わりませんが。
そして、「ペット“産業”への疑問を声にし続ける」こと。
もし多くの人が疑問を持ち、考える機会を持ったなら、悲しい一生をたどる犬や猫の子たちが今よりずっと減っていくのではないかと思うのです。



「大切に育てます。  みさき」


動物病院の先生が言ったように、彼はもう、ノラに戻ることはなく、幸せに暮らす王子様になりました。
まるで、孤児院からもらわれた「赤毛のアン」のように。
今は、どんな名前で呼ばれているのかな。



しっぽのほとんどない、ミギャアアとダミ声で鳴く、小さな黄色い獣の子。
彼が幸福になったことが、また、私たちに幸福な気持ちをくれました。


そして今も、ミサキちゃんやルナちゃん、お父さんお母さんを、たくさんの幸福な時間で包み続けている、大きな存在であることでしょう。


(おわり)



参考に。

「ペットショップにいくまえに」 (えとぶん・どい かや)




おまけ

最初は必死な顔だった


しっぽがほとんどない。あとそれ、おもちゃじゃない。


 最近、NHKで、ねこの島の特集やってたのを見た先輩が不憫そうに言いました。

「野良の子って、しっぽが切れてたりしてかわいそう。病気かしら」

私は答えました。

「いえ、ああいう種類です」


抱っこされてうっとりしていた(っていうか「くるしゅうない」って感じか)


ぽんぽこ


うもれる


動き回る子だったことと、カメラが古かったことにより、写真が大抵ピンぼけです(笑)

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