味わい深い価値観を

激おこフシャー丸
(実際は「にゃーん!」って言ってる途中)


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明治維新の最大の立役者でありながら、しゅっとしたイケメンだらけのはずの『銀魂』ではなぜかひとり、「白フンの暴れん坊という過去を持つ、カマっ娘クラブのママ」として描かれ、腐女子の萌えに全く関わりを持たせてもらえなかった西郷隆盛が……


『翔ぶが如く』では、大久保利通との熱い友情、かつ涙の決別という、BL妄想要素満載でありながらも、眉毛のふっとか芋ザムライなイメージ故にか、あるいは西田敏行氏が演じてたためか、全く萌えを匂わせなかった西郷隆盛が……


そう、どの角度から来ても、あらゆる「萌え」をはねのける「鉄壁のモサさ」を誇っていた西郷隆盛が、まさかの国営放送公認スイーツ主人公として描かれようとは、誰が予想しただろうか、脚本家、即刻クビにしてくれよおおおおおお!



中園ミホ氏は、私のルーツにことごとく関与しては破壊活動を行っていきなさる御仁ですな。
前回は『赤毛のアン』、今回は郷里……。


ミラクルファンタジー大河ドラマ『西郷どん』の一番の問題点は、なまじ、“国営放送の目玉ドラマ”という堂々たる看板を掲げてるもんだから、どこまでが史実で、どこからが捏造か、混乱する人が多そうなところだと思います。
1000歩譲って、ロシアンルーレットは見逃したとしよう。(いや、島津家の子孫の皆さん、怒っていいレベルだと思うけど。)
けど、そもそも史実の描き方が杜撰すぎて、斉彬派の粛正の理由がイマイチ伝わらず、「なんで赤山先生、すぐ死んでしまうん?」状態。
意味不明な投獄があったかと思ったら、ジョン万次郎の心を開いたとかで「西郷、面白い男よ」……いや、なんもしてねーよ……ジョンはお母さんがお風呂に入れてごはん食べさせただけだよ……。
むしろこの西郷どん、アホの子過ぎて、総大将になれる予感が全くしないよ……。
挙げ句の果てには「ラブぜよ」……って、あれ、これ日テレ土曜10時のドラマだったっけ?
役者はいいのに……風間俊介くんも出るっていうのに(風間くん好き)……高橋光臣さんの有村俊斎とか結構楽しみにしてたのに……。
『真田丸』だって硬派じゃなかったけど、脚本家にはちゃんと、歴史を扱うことに対する矜持みたいなのがあったと思う。



まともな(!)西郷隆盛・大久保利通が見たい方は、90年代に放映された『翔ぶが如く』を見ることをオススメします。
<原作:司馬遼太郎、脚本:小山内美江子>のタッグで誠意を持って描かれた明治維新は、実に見応えがありました。
『翔ぶが如く』が、ちゃんと出汁をとって作られた和食だとするならば、『西郷どん』は、旨み調味料で舌を刺激したインスタント食って感じ……。
せっかくふるさとが舞台なのに、もう残念極まりない……。


というわけで、私は西郷どん、脱落組です(´ - ` )


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という晴れぬ思いも手伝ってか、先日は急に思い立って、神保町の古本屋めぐりをして、「坂の上の雲」(司馬遼太郎著)を一気に購入。通勤の行き帰りで読みふけっております。
読みふけり過ぎて、先日は一駅乗り過ごしてしまいました。仕事に1分遅刻した。(ちゃんとして)
そのちょっと前は、「遠藤周作週間」でした。遠藤周作さんの小説とエッセイのギャップが好きで、交互に読んでます。このときも、あやうく乗り過ごしそうになりましたっけ。
今、自分の中で大正生まれ男子が熱いです。遠藤さんも司馬さんも、どちらも大正12年生まれだそうです。


私はあんまり読書家ではないし、歴史も苦手なのですが、今年(から)は、雑食読書家になろうと思います。
最初は意識的に、でしたが、今は「ああ、読書、こんなに楽しかったっけ。」という結果的にラッキーな感じに落ち着いています。


読書に没頭するきっかけを作ってくれたのは、絵画スクールの先生です。


スクールのお昼ごはんのときに、何の話がきっかけだったかは忘れましたが、私が
「私、どうにも中身が大人になれなくて困ってるんです」
ということを言ったのでした。
外側だけは老けていくのに、これはイタい、と。
「後輩にも、『菜央さんは、14歳から4年に一度しか年取ってない』って言われる」と。(実話)


同様の悩みを私は10年くらい前からよく口にしています。悩んでるのは本当。
とはいえ、この話をするときにいつもそうしてもらってきたように、周りのおばちゃんたちには、「別にいいのよ〜、そのままで〜」と柔らかく言ってもらって、無意識的にたぶん、自分でもその答えを欲してた部分もある気がする。
そんな自分の“ずるさ”に気付いたのは、先生だけがふっと真面目な目をして、


「本を読んだらいいよ」


と静かに言ってくれたからかもしれません。


「映画もいいけど……やっぱり本だね」


それは取り立てて特別なアドバイスじゃなかったかもしれないけれども、静かでシンプルだったことが手伝ってか、より深く頭に入ってきました。
――そうだよ、わたし、本気でオトナになりたいんでしょ?
――逆コナンくんはごめんでしょ?
そして私はその日のうちに、前から気になってた遠藤周作の本を注文したのでした。


*


「良書」と言われるものを読んでて思うのは、ここには「心を楽にしてくれる価値観」が詰まっているということです。
このネット社会、意識的に遠ざけないと、ついつい余計な情報で頭がいっぱいになってしまいがち。
そしてそれら“インスタント”に入手出来る情報は、本来、決して思慮深く導きだされたものではなく、それこそ嗜好性ばかりが高く、栄養にはならないジャンクフードのような刺激物。

「◎◎な立ち場であれば、●●であるべき」
「××歳くらいになったのなら、■■くらいは出来ているべき」

実に上手く「正論」然として、「常識的」という矛で襲いかかってくるそれらの正体は、ほとんどが人間の「不満」や「劣等感」にうまく取り入りながら、他人を嘲笑うという『快感』に陥れてくる麻薬のようなものです。
情報が簡易に手に入るようになったからこそ、そういう低質なものが氾濫していることに留意すべきはずなのに、それでも私たちは自信がない時や、どっちへ行ったらいいのか解らない時、そんな「泡沫の正しさ」……即ち「悪意」に、容易に振り回されがちな気がします。


でも、「古い良書」に触れていると、自分を振り回していた「体に悪い情報」がいかに無用なものだったのかということを、冷静に判断出来るようになります。


自分が触れているものの多くは、平成30年現在の「流行り」に過ぎないのだ、と。
遠い昔にはまた別の常識があり、人間の歴史なんて、そういうものだ、と。


そして、我々が本当に大切にすべき価値観は、
誰かの貧しい優越感を満足させるために存在するのではなく、
誰かに強いられるものでもなく、
実にシンプルであり、
己が善く生きるために、背筋を伸ばして立つためにのみ、あるべきものだ、と、


本を読んでいると、そういうことに気付けて、心がすうっと楽になってきます。


*


子どもの心を無くさないことは大切だけど、
「子どもっぽい」のと、「若々しい」は当然ながら別物。


「いつまでも子ども」でいても許されるのは、かわゆいにゃんこやワンコたちだけかもしれません(笑)

洗濯機が気になってしかたがない子ども



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