三十年に一度の「新月」の話初出:2019年5月6日『第28回 文学フリマ東京』---平成が終わるのに際して、大規模な片付けをしようと一念発起した人も多いかと思いますが、そうしたムードの後押しもあってか、「こんまりブーム」が再来していると聞きます。しかしながら私自身は、平成の大片付けブームを二、三年ほど前に迎えてしまったため、これ以上捨てるものが無いのが実情です。書籍や服はちょっと溜まってきたから、また選別してもいいかもしれないけれど。2016年から2017年にかけて私は、ざっと数えて、三辺の合計が140㎝サイズのダンボール約30個分ほど。それまでも定期的に片付け欲がやってくることはありましたが、ここまでの量を捨てたのは、初めてでした。そしてこの欲が、2017...08Aug2019随筆archives
少女Aが消された話教え子と電話で話していて、こんな話を聞かされた。「こないだね、仕事のセミナーを受けにいったんですけど、隣の席の子が消しカスそのまま、椅子も出しっぱなしで帰っちゃったから、私、ついでに軽く掃除したんですよ。そしたら講師に『人のところに手出しなんかしなくていい!』って怒鳴られて。そのすぐあとに、今度はスリッパが出しっぱしになってたのが目に入ったんですけど、手出しすると、また怒鳴られるかなぁと思って、そのままにしてたら、『なんで目についたのに仕舞わないんだ!』ってまた怒鳴られて。もうどうしたらいいんですかねえ」「私の可愛い教え子を何しょんぼりさせてくれてんだ? このジジィめが、貴様のシャンプーに中性洗剤混ぜて毛根根絶やしにしてくれようかー...23Feb2017随筆archives
フェイス・ブク子との別れ話 フェイスブック(以下FB)のアカウントを私はなぜかだいぶ早く取得しており、そのまま持て余していたのですが、SNSブームが始まるとともに、急に「お友達申請」が押し寄せて来るようになりました。その時点で鬱陶しくなってきていた私は、「ぼちぼち退会しようか…」と迷い始めていたのですが、そんなある日、当時勤めていた会社を一年ほど前に退社していた先輩から「友達申請」が届きました。私は、「うわあああああああああー!」と叫んで、その日のうちにFBを退会しました。先輩は、その気性の荒さゆえに、社長にも「宇宙人」と恐れられていた、伝説の恐怖の先輩だったのです。(社員をそう呼ぶ社長もどうかと思うが。)「よろしくね♡」と書いてあった気がしますが、私には、「...13Nov2015随筆archives
このささやかで、意味のある人生(上京2ヶ月後の日記)本来なら2月20日が上京予定日だったので、「ああー、女子フィギュアFSも、『ちりとてちん』のクライマックス週も見れないなぁ」なんてぼやいていたのですが、出発の前々日に突然高熱を出し、結局出発を二日延期。フィギュアFSも、ちりとてちん「草若弟子の会の涙のクライマックス」もしっかり見届けてからの上京となりました。前回の、就職のために始まった「初めての一人暮らし」とは異なり、今度は自分の意志で決めたことですので、「出発前夜は、布団の中でどんな思いが駆け巡るのだろう、予想がつかないな」なんて思っていたのですが、結局、いざその日を迎えてみると、頭の中にあったのは、「真央ちゃん……素晴らしかった……!」 という感動だけでした。おい、自...30Apr2014随筆archives
魔法のベーグル(Cotorilla vol.2収録)「食べることが好き!」という女の子は多いが、私はどうも、それに当てはまらないらしい。例えば、おなかが空いていても、手軽に食べられるものがなければ「めんどくさい。」が勝ってしまって、かつてはそのまま空腹をガマンしてしまうことが多々あった。が、この数年でようやく自覚したのだが、私は「食切れ」に、人一倍弱く、空腹時間が長ければ長いほど、その後の回復にも時間を要してしまう。そのため、近頃では、極力モノを食べるよう、心がけている。だが、そんな風に、「やむを得ず食事をしている」ような私でも、恋人に対するような執着心を「食」に対して持つ時がある。一つは、ストレスが溜まったとき。やり場の無い不満を抱えたとき、私はなぜか過食になる。が、それはあまり健...30Dec2009随筆archives
桜の木々が手を振っている(Cotorilla vol.1収録)三月最後の土曜日に、母方のおばあちゃんが亡くなった。八十一歳だった。新聞の死亡広告欄を見て、若い人の死を痛ましく思うことはあっても、八十をすぎた数字では、その家族たちの気持ちにまで、あまり思いが及ばなかったものだった。「ああ、長生きだったんだね。」そうしてその文字の後ろにある悲しみを素通りした。けれど、おばあちゃんが歳をとるに連れ、愛情が薄れるなんてこと、あるはずもない。その四年前に父方のおじいちゃんが亡くなり、その次は、“順番”でいけば、おばあちゃんだろうと、意識はせずとも、むしろ意識することを抑えるようにして、それでもどこか感じていた、それは避けられない恐さだった。亡くなる二日前、弟の就職祝いということで、親戚みんなで食事をした...07Jul2008随筆archives