「食べることが好き!」という女の子は多いが、私はどうも、それに当てはまらないらしい。
例えば、おなかが空いていても、手軽に食べられるものがなければ「めんどくさい。」が勝ってしまって、かつてはそのまま空腹をガマンしてしまうことが多々あった。
が、この数年でようやく自覚したのだが、私は「食切れ」に、人一倍弱く、空腹時間が長ければ長いほど、その後の回復にも時間を要してしまう。
そのため、近頃では、極力モノを食べるよう、心がけている。
だが、そんな風に、「やむを得ず食事をしている」ような私でも、恋人に対するような執着心を「食」に対して持つ時がある。
一つは、ストレスが溜まったとき。
やり場の無い不満を抱えたとき、私はなぜか過食になる。が、それはあまり健康的な話にならなさそうなので、今日はやめておこう。
もう一つは、外国に行ったときである。
このときばかりは「今、食べなければ、次いつこの食べ物にお目にかかれるというのだ!」と、食欲よりも好奇心が勝利し、あらゆるものに手を出してしまう。その結果、帰国後は友人たちに、
「そんなに、変わってない、よね……」
と、目を逸らしながら不自然な笑みを浮かべられることになるのだが、そうは言っても、そのイレギュラーな変化(へんげ)は、日本の健康的な食生活によってすぐに解けるため、さほど深刻には捉えることはなかった。
帰国数年後、当時履いていたジーンズの太さを見て、笑い転げたのもいい思い出である。
*
二十一歳、大学四回生のとき、カナダに六ヶ月間留学した。
一般家庭にホームステイをしながら、日本人学生が大半を占める語学学校に通うだけ、という、「留学」と呼ぶには少々ためらわれるようなアマチャンな時間ではあったけれど、今振り返っても、それなりにやってよかったチャレンジだったと思っている。
滞在の前半は、日本で通っていた語学スクールのカナダ校、その中でも西端の都市「ビクトリア」の校舎を選び、後半は、東のプリンスエドワード島にある、自分で見つけた小さなスクールに通うことを決めた。
ビクトリアでのホストマザーは、シャンティさんといって、日焼けした肌が健康的な、明るい若奥さんだった。花に例えたら、ガーベラのような感じ。趣味はランニングだった。
ステイ先というのは、留学生にとって、滞在生活の明暗をまっぷたつに分けるほど、極めて重要な鍵を握っているが、私は幸運にも、カナダ滞在中、西でも東でも、素敵なファミリーのお世話になることが出来た。
シャンティさんには、小さな子どもが二人おり、彼女自身も元々健康志向だったため、「食」に対してこだわりを持っていらっしゃった。そのおかげで私は、カナダで数々の素敵な食べ物に巡り会うことが出来たのである。
カナダに来て、二、三週間くらいたった頃だと思う。とある日曜日の昼、庭でバーベキューをしよう、とシャンティさんに声をかけられた。
家でバーベキューなんて、面倒ではないのか? と真っ先に考えてしまう、インドアな私だが、そのバーベキュー概念をひっくり返すほど、カナダでのバーベキューはとても手軽なものだった。広い庭の一角に、ちょっとした鉄板を設置し、適当に具材を焼くだけという、それだけで、にもかかわらず、それはあまりにおいしくて、私は目を丸くした。
メインの食材は、肉ではなく、この地の名産であるサーモンだった。このサーモンが非常に美味だった。色とりどりの香辛料を適当にまぶして焼くだけのシンプルさだったが、スパイシーさの中に不思議な甘さのある香辛料と、身のしまった絶品のサーモンは、すぐさま私を虜にした。
そして何よりその日、私は、生まれて初めて「本物のモッツァレラチーズ」に出会った。「本物のモッツァレラには、『味』があるのか!」と、私は感激した。バカみたいな感想だと笑われるかもしれないが、このモッツァレラを食べて以来私は、日本でどのモッツァレラを試してみても「豆腐かな?」としか思えなくなった。
そのくらい本物のモッツァレラチーズは、ちゃんと胸を張って「我こそはモッツァレラチーズだ!」と名乗ることを許された、モッツァレラ界の王者のようなものだったのだ。
しかし、カナダで出会った食べ物の中でも、やはり特筆すべきは、「ベーグル」であろう。
ベーグルのことを知らない人は、近頃ではあまりいないだろう。私もそれまでに日本で幾度もベーグルを食べたことはあったが、取りたてて好物、というわけではなかった。
しかし、シャンティさんの家で出会ったベーグルは、何かが違った。
まず、見た目からして違った。日本で見るベーグルは、どれも大振りで、少し重そうな印象を与えるが、私が出会ったそのベーグルは、それまで見てきたものよりも、一回り小さくて、いかにも品のある「姫君」のような佇まいをしていた。
朝食の場合は、バターやジャムを塗って食べる。
私のお気に入りの「ベーグルのお供」は、なんと言っても「クリームチーズ」と「ピーナツバター」だった。
シャンティさんのこだわりは、モッツァレラで証明されたように、クリームチーズにはもちろん、この「ピーナツバター」にも表れていた。
日本で売っているピーナツバターの主流は、紺あるいはターコイズブルーの蓋が目印の「SKIPPY」だと思うが、「SKIPPY」には申し訳ないけれども、シャンティさんちのピーナツバターのおいしさは、「SKIPPY」の比ではなかった。コクと味の深みが、市販のどれとも一線を画していた。
ベーグルは、ランチに登場することもあった。
お弁当はいつも、シャンティさんが作って持たせてくれた。
語学学校の昼休み、チャイムが鳴ると、おなかを空かせた生徒たちは、銘々、教室を出て、好きな場所でランチをとる。
私はいつも、近くのハーバーへ駆けていっていた。窓のない淀んだ空気の教室から抜け出して、港で心地よい風を浴びる。少しでも、この街に触れた時間を過ごしていたかったのだ。
ブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアは、その名を英国女王からもらっていることからも想像がつくように、古めかしい英国風の建物が、たくさんの船の停泊する湾を囲んでいる、とても美しい港街だった。
六月のビクトリアは、一年のうちで、最も素晴らしい季節を迎えていた。
ヨットの帆は畳まれていたが、白いマストが、いくつも元気よくきらめく海から垂直に立ちのぼり、町中の街灯に下げられたフラワーボールは、色鮮やかな花々で、この小さな街を彩っていた。
車は、道行く観光客に気を配りながら、曖昧な信号機をどうにか頼りに、ゆるゆると進んでいた。
初夏の風には、光がちりばめられているようで、街全体が、遮るものひとつない青空の下で輝いていた。
中学生の頃、母のインテリア雑誌での特集記事を見て以来、私はずっと、この街に憧れてきたのだった。
広場の階段に腰掛け、美しい港を見下ろしながら、大きなハンカチに包まれたランチを取り出す。
ハムやチーズ、レタスの挟まったベーグルの姿が現れると、途端に私のテンションは上がった。(代わりに、普通のパンのサンドイッチが出てくると、テンションは少しだけ下がった。)
それほどまでに、そのベーグルはおいしかった。上にはセサミがまぶされていて、ただそれだけ。けれど頬張ると口いっぱいに、ほんのりとした甘さが広がった。砂糖のような自己主張の強い甘みではなく、ふわっと溢れてくる甘さは、魔法のようだった。
しかし、町のスーパーに並んでいるベーグルは、どれを見ても、私が日本で既に出会っていたものと変わらない、尊大な姿をしたベーグルだった。
「シャンティさんは、どこであのベーグルを手に入れているのだろう?」
私は首を傾げた。
その疑問が、ようやく解ける日がやってきた。
ある休日、シャンティさんが、「ファーマーズマーケットへ行きましょう。」と言って、私たちをドライブに連れていってくれることになった。
チャイルドシートに、娘のスカーレットとミミを座らせて、シャンティさんの古くて大きな車(日本では見たことがないタイプのNISSAN車だった)は出発した。
四歳の姉スカーレットは少しくすんだブロンド、一歳の妹ミミは、姉よりもう少し甘い色の金髪。
そして、ふたりとも、碧いビー玉のような瞳をした、大変美しい妖精のような姉妹だった。
が、妖精は妖精でも、彼女たちは実に困った「いたずらエルフ」だった。
特にスカーレットと来たら、その名前のとおりのやんちゃ娘で(「スカーレット」とは、「緋色」という意味である)、私の眉ペンで、キルトのベッドカバーに落書きをされたときは、心底青ざめたものである。
おしゃべりがまた上手に出来ないミミは、よく、「レッドペッパー」のことを「パッパッポー」と言っていた。一緒に食事をするときは、「ナオ、ダン?」と聞いてきた。「ダン」は「do」の過去分詞系の「done」。つまり「食べ終わった?」という意味の幼児語だそうだ。その度に私は、「Not yet.(まだよ。)」と答える。それがお決まりのやり取りだった。
スカーレットも、ミミも、たびたび私の部屋に遊びに来たが、よちよち歩きのミミはいつも「ハイ、ナーオ」と、ご挨拶をして、ぴょこんと跳ねるようにして部屋に飛び込んできた。
森の中を、妖精と、異国の客人を乗せた、赤い、古い車が走り抜けてゆく。
2,30分ほど走って、うっそうとした森の中にぽっかりと突然現れた小さな家の前で、シャンティさんは車を停めた。可愛らしい木製の看板に、手書き文字でメニューが書かれていた。
“Bagel / $×× a dozen”
「なるほど、あの魔法のベーグルはこの森で、魔女とその弟子たちがナイショで作っていたのか!」
私はようやく魔法の秘密に触れることが出来て、満足した。
「妖精の案内なしでは辿り着けないベーグル屋だったというわけね」
ビクトリアへの二ヶ月間の滞在の後、私は予定通り、東端のプリンスエドワード島へ滞在先を移し、そこで三ヶ月を過ごした。
が、その地では、ロブスターやじゃがいもに出会うことは度々あれど、魔法のベーグルにお目にかかることはついぞなかった。
魔法のベーグルに再会出来たのは、帰国直前、大陸を横断し、再びビクトリアまで戻るまでの一人旅の道中、「ケベック」でのことだった。
カナダは元々、イギリス領であった国だが、東部に位置するケベック州は、フランスの文化圏に属している。そのケベックでの旅の途中、私は再び、魔法のベーグルにお目にかかることが出来たのである。そこでは、大都市モントリオールでも、そして、城壁に囲まれ、未だ古き時代の眠りから覚めない州都ケベックシティでも、魔女の森に行かずとも、普通の人々が、当たり前のようにあのベーグルを食べていた。
クリスマス・イルミネーションに輝く、欧州の古い文化の流れを汲んでいるその街は、“魔法”のベーグルを日常にしてもなんら違和感のない、「おとぎの世界」だったのだ。
帰国してからも私は、あのベーグルを探し続けている。
しかし、どんな評判を聞きつけて行った先でも、待っているのは、大柄の、遠慮を知らぬ風貌の「王様ベーグル」だった。その度に私は、
「私が探しているのは、お前じゃないんじゃ!」
と、一人勝手に、日本ではおいしいと位置づけられているはずのそのベーグルを心の中で罵倒した。罵倒されたベーグルも、さぞ、屈辱だったことだろう。
「魔法のベーグル」に出会って何年も経った今でも、再会は果たせていない。
あれは、あの場所でなければ出会えなかった幻だったのでは、と思うほどである。
(初出「Cotorilla vol.2」2009年12月発行)
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