三十年に一度の新月と、大片付けの話

平成が終わるのに際して、大規模な片付けをしようと一念発起した人も多いかと思いますが、
そうしたムードの後押しもあってか、「こんまりブーム」が再来していると聞きます。


しかしながら私自身は、平成の大片付けブームを二、三年ほど前に迎えてしまったため、
これ以上捨てるものが無いのが実情です。
書籍や服はちょっと溜まってきたから、また選別してもいいかもしれないけれど。



2016年から2017年にかけて私は、ざっと数えて、
「三辺の合計が140㎝サイズのダンボール約30個分ほど」
の不要品を処分しました。
それまでも定期的に片付け欲がやってくることはありましたが、
これは流石に人生最大レベルでした。


そしてこの欲が、2017年の年末を境に、ぱたっと消え失せてしまったのでした。
その年の大掃除のやる気の出なかったこと、出なかったこと。
ですがそれが逆に、星が示す「生まれ変わり」に向けた内なる欲求の存在を
より強く実感させてくれたような気がします。


2017年11月30日に私は、「プログレスの新月」を迎えました。
「プログレスの新月」とは、「約三十年に一度やってくる、生まれ変わりのタイミング」のことです。
詳しい説明は端折りますが、簡単に説明すると、

  1. プログレスの月とは、いわば体内時計であり、その時の心理的状態・興味・関心などを表す
  2. プログレスの月は、大体30年くらいでその人のホロスコープを一周する
  3. プログレスの月と太陽が重なる時を「プログレスの新月」と呼ぶ
  4. 新月のタイミングは人それぞれ。10歳で迎える人もいれば25歳で迎える人もいる。

ということになります。


この「プログレスの新月」で人は、それまでの約30年のテーマを終え、次のテーマへ移行します。
上皇陛下が天皇退位を発表された頃に、この新月を迎えられていますし、
元関ジャニ∞の渋谷すばる君も、やはり新月期にグループを脱退されていたそうです。
それほどにダイナミックな「変わる時」なのです。

 


プログレスの新月は、人生のテーマが刷新されるタイミング。
それを迎えるにあたって、私が今まで持っていた物を全部捨てたくなってしまったという
その心理の奥底には、結局、ちょっと悲しいけれど、


「今までの自分を捨てたかった」


というのが、どうしてもあったのだと思います。


ダンボール30箱分の、たまっていたゴミを捨て、手紙を捨て、
かつて好きだった本や服を捨て、最終学歴を除く卒業証書を捨て、
ぬいぐるみを手放し、実家のクローゼットを空にしました。


手放したものは、本や服に限りません。
大好きだったアーティストの音楽は心を素通りするようになり、
依存的な人間関係は清算され、
久しぶりに会ったアシタカには全然魅力を感じることが出来ず、
もう過去の男になったことを思い知らされました。
(と、言ったら大学の後輩に「ひいいいいー! 先輩が違う人になった!」と驚愕された)


バッサバッサと全てを捨てていく私を見ながら、
「そんなに、何もかも捨てなくてもよくない?」
と言う母は少し寂しそうで、胸が痛まないわけではなかった。
それでも、なんだかもう、たくさん、たくさん捨てたくて仕方がなかったのです。



何だか生きづらかったんですよね、地元にいる間。
生い立ちに何かあるわけでも、いじめにあったわけでもないし、友だちにも恵まれた。
ですから、「つらい」なんていうのは、ただの甘えた弱音で、口にしてはいけないと思っていました。



でも私は、中学までの自分が嫌いだし、
高校時代はストレスで壊れそうだったし、
大学でも後悔がたくさん出来てしまったし、
ずっと自分の姿にもすることにも自信がなくて、
写真にもどう写ればいいか解らなくて、劣等感の塊で、
あちこちで叱られてばかりで、手放しで幸せを感じたことがほとんどなくて、
どこにいても浮いているような気がして、
可愛くなくて、かたくてつまんなくて、みっともなくて、
ダメなヤツだ、何も出来ないヤツだって、
自分で自分を否定する言葉がいつも当たり前のように心の中にあって、


そうやって、ずっとずっと、自分をいじめてきていました。



片付けの波は、まず最初に「物」ではなく、「携帯電話のデータ」を整理していきました。
ふとした弾みに、古い付き合いのデータを丸ごと消してしまったのです。
一年以内にやり取りをした人や、どうしても取り戻したいデータは取り戻せましたが、
登録データが3分の1に減りました。
けれど、そこに後悔や残念な思いは、一つもありませんでした。



そして、実際に「物」を減らす波は、この後にやってきました。
人間関係の清算という、一番やりづらいことが済んでいるわけだから、勢いがついています。
物を減らすということ、それは即ち、貰い物、買ってもらったもの、
そして年賀状や手紙といった、後ろ髪を引かれるものをバッサバッサと捨てていくということ。


「わざわざ、直筆なんだよね」
「もう使ってないけど、せっかくくれたんだよね」
「趣味じゃないけど、いいと思って贈ってくれたんだよね」


そんな理由をつけて残しておいたものたちを


「古くて使わない」
「邪魔」「不要」


という、「自分の意志」を優先して、捨てていきました。


そうして、もうこれ以上無いくらいに片付け尽くしたその一番最後に、
『使えるし、好き』だったはずのものを手放しました。


それは、「自分で選んで手に入れたのではない物」たち。
つまり、「自分で見つけて好きになったわけではない物」たち。


それを手放して、私は、自分で自分の人生のハンドルを握り直そうと、
そう決めたんだと思います。


 *


プログレスの新月を迎える一年ほど前の夏。
職場のビルの下で、ものすごく大きな赤いイモムシが、のっしのっしと力強く這っているのを見つけました。
ぎょっとして、一旦のけぞりましたが、こんなに大きくて、しかも赤い幼虫なんて初めて見たので、
今度はおそるおそる身を乗り出して、その姿をじっと観察してみました。


それから一年後。

私はふとなんとなく、その時のイモムシが気になって、
画像検索で正体を探してみるという、恐ろしい行為に出ました。
検索ワードは、「イモムシ 赤い 大きい」。
よほどの虫好きでなければ、正視に耐えられない光景が、ブラウザ一面に広がりました。


「ぎゃー! うぇー!」と悲鳴を上げながら、それでも記憶を辿り、ようやく
「あ! これだ!」
と、見つけたあのときの幼虫の正体は、「オオミズアオ」という大きな緑色の蛾だということが解りました。


オオミズアオの成虫は、幼虫時代のおぞましい姿からは想像もつかない、
優しいエメラルドグリーン色の大きな翅を持つ、
まるでティンカーベルのような、神秘的で美しい姿をしていました。


そして、調べて解ったのは、オオミズアオの持つ秘密……
幼虫時の彼らは、通常、力強い緑色をしているのだけれど、サナギになる直前だけ、体が赤くなるのだそう。
つまり私が出会ったあの堂々たる様で歩いていた幼虫は、「大変容」のための眠りに入る直前だったのです。



梨木香歩さんの小説「からくりからくさ」の中で、主人公の一人である紀久さんは、物語の終盤、
それまで嫌悪していた大の苦手の「ヤママユガ」に、偶然とも必然ともいえる再会をし、
それが繭から出て飛び立つまでの「命がけの変容」に付き合うことになります。
そして、その時に抱いた思いを同居人の蓉子や与希子宛の手紙の中で、次のように記します。


「生き物のすることは、変容すること、それしかないのです。
それしか許されず、おそらくまっすぐにそれを望むしか、他に、道はないのです。
だって、生まれたときから、すべてこの変容に向けて体内の全てがプログラミングされているのだもの。

幼虫の姿ではもう生きていけない。

追い詰められて、切羽詰まって、もう後には変容することしか残されていない。



変態を遂げた、大きなヤママユは、妖しいぐらいに美しく、この世のものとも思えないぐらいに優雅でした。

本当に、あんなきれいなもの、私、見たことなかった。

見たこと、なかった……」



――梨木香歩『からくりからくさ』



奇しくも、私が出会ったオオミズアオも「ヤママユガ科」に属します。


私は今でも何となく思うんです。
あの赤い幼虫は、神様の眷属で、私にこう言ってたんじゃないか――


「私は今から、この体を脱ぎ捨てて、羽ばたいてゆく。おまえもな。」


と。


(お わ り)


初出:2019年5月6日『第28回 文学フリマ東京』


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最後の文学フリマで出したのは、「星エッセイ本」でした。
占星術に関するマニアックな話(というほど専門的もでもないですが)は、別館に掲載していますが、
そこからいくつかを「星ネタが解らなくても読めるエッセイ」に変えて出しました。


せっかくなので、ちょっと改訂して、ここにも掲載していきたいと思っています。

今日のはその第一弾でした。

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