フェイス・ブク子との別れ話


フェイスブック(以下FB)のアカウントを、今ほど普及していなかった時に私はなぜか既に取っていて、そしてそのまま持て余していたのですが、昨今のブーム到来と同時に急にお友達申請が押し寄せて来るようになりました。


退会しようか迷い始めていたそんなある日、当時勤めていた会社(ピータン社)を、その一年ほど前に寿退社していた先輩から「友達申請」が届きました。
私は、

「うわあああああああああー!」

と叫んでFBを即座に退会しました。
彼女は、その気性の荒さゆえに、社長にも「宇宙人」と恐れられていた(社員をそう呼ぶ社長もどうかと思うが)伝説の恐怖の先輩だったのです。
「よろしくね♡」と書いてあった気がしますが、「今、あなたの後ろにいるの」と書いてあるように見えました。
顔が卓球の福原愛選手に似ていらっしゃったので、私はどうも彼女に出会って以降、テレビで福原選手を見るたびに、ぞくっとしてしまいます。(愛ちゃんに罪はない。)


そうして足を洗ったFBでしたが、少し前に、奈良、京都を中心とした、ゲストハウス巡りの旅をしていた際、宿で交流する皆さんが名刺交換代わりにアカウントを教え合っているのを見て、私も利用を再開したのです。


しかし、旅の出会いによる異業種や異国からの投稿はわずかで、結局いつの間にか、TL(タイムライン)を占めるのは、前と同様、学生時代の友人たちの投稿ばかりになってしまいました。


FBをしていらっしゃる方は大体ご存知だと思いますが、友人の投稿のほとんどが、

・飯の写真
・子どもの写真
・お出かけした写真
・イベントのリア充アピール
・意識高い系のシェア

に大別されます。


そして何より、自分がFBに投稿をしようとしたときに、私はなんだか悟ってしまいました。


FBは至上の楽園でも目指すかのごとく、「幸せ投稿」しか許されない場所なのだな、と。



今や瀕死のmixi(こら!)は、日記投稿がメインだったので、ポジティブな話、ネガティブな話が割とミックスして飛び交っていた気がします。
ツイッターはもっと容赦なく、負の話題が垂れ流されてきます。インスタグラムは使っていないので知りません。
それに対して、FBは「写真+短文」というのが主な投稿形式なので、TLに流れてくるのは大抵が「近況報告」か「イイ話のシェア」になります。そのため、他のSNSに比べて、非常に清潔な無菌空間を構築しています。


また、FBは多くの場合、友人の繋がりでネットワークが広がるので、笑いや情報の豊富さでフォロワーを増やすという切磋琢磨が求められる(?)ツイッターとは異なり、非常に内輪な、ホームDVDレベルの素人投稿ばかりです。
私だって人並みに友人の幸福を願う気持ちは持っているつもりですが、正直、「嫁と娘とアンパンマンミュージアムに行ったよ!」という話を特に笑いも盛り込まずに見せられましても、何の「いいね!」の感情が湧くはずもなく、いっそ、「で?」ボタンが欲しくなります。
しかし、
「笑いをひねり出す努力もせぬ者に、『いいね!』を授ける義理などないわ。出直してこい」
などと言おうものなら、世間的には「冷たい人」「ねたんでる非リア充」扱いです。
テレビやブログなら、面白くない(惹き付けられない)方が負けなのに、ここは面白がらない方が悪い、すべってるやつにすべってることを感じさせるなと言わんばかりの特殊な空間です。
まるでFBという楽園の神は、人間の心の清らかさを試しているかのようです。 



とは言っても、所詮ネットワークなどというものに支配されたここは、煩悩がひしめく、業の深き現世(うつしよ)。
そこに自分と並んで立つ他者の姿がある限り、人の心には必ず「負けたくない」という、抗うことの出来ない欲望が渦巻きます。
そして先に述べたように、FBは優しい、ポジティブな日常の風景に満ちた場所。
ましてツイッターのような「笑いや情報量」という、解りやすい「勝者の基準」がありません。

そうなると、繰り広げられるのは「幸福のマウンティング大会」ないしは「己の崇高さ披露大会」――そんな回りくどい名前はやめよう――「自慢競争」になるのは、必然です。
ああ! 人は如何なるフィールドに置かれても常に上を目指し、優越感という甘美な酒を手にしたがる生き物!
そこに山があるから登る、とばかりに、美しい山であろうが、醜い山であろうが、登らないわけにはいかない。
私たちはいつでも、虚栄心という名の山岳部員です。



そして溢れ返る、海外旅行に行った話が、

友達の誕生日ケーキの後ろで、みんなでうぇーいってピースしてる写真が、

なんか人生をよりよくしてくれるらしい本の紹介が、

親切な人によるセミナーの報告が、

お子様の成長報告が、

アンパンマンミュージアムに行った話が、……あれ、藤子F不二雄ミュージアムだったっけ?


これらの投稿たちが、ハロウィンのカボチャのように、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら「おらおら~『いいね!』しろよ~」と私を取り囲んでくるのです。
一点の汚濁も許されない、純白の天使しか住まうことを認められない、そんな痛いほどの清浄さで構築された場所で、みんなが微笑みながら、幸せな記憶を報告し合っているその背後で、「幸せな話をしなければ、負けだ」って言っている心の声が、そして爽やかな多くの「いいね!」の中に「私は妬んでなんかない、私はそんなに小さい人間じゃない!」という必死の抵抗が、読める、読めるぞおお!


――あなたは、いったい誰?


私も古い秘密の名前を持ってるんだよ、「非リア充」だ!



少々、調子に乗ってフェイスブックをFB(フル・ボッコ)し過ぎました。
もちろん、これらとは別の意図と用途で使用しているユーザーがいるのも承知、学生時代の仲間の投稿に爆笑をもらったことも多々あります。
しかし、何はともあれ、虚飾と欺瞞に満ちた世界に於ける、体は傷まずとも心で血を流す戦いに疲弊した(っていうか、単にログインがめんどくさくなった)私は、遂にFBに別れを告げることにしました。


最初の退会のときよりも非常に解りにくくなっていた手順を踏み、ようやく「利用解除」に辿り着けば、

「○○さんが残念がると思います」
「××さんが残念がると思います」
「△△さんが残念がると思います」
「□□さんが残念がると思います」
「※※さんが残念がると思います」

の文字とともに、友人たちの写真が五枚、ずらずらっと並べられてきて、私は少し怖くなりました。
まるで、別れ話を切り出したら、


ーー待ってよ! 私たちが別れたら、私たちのことを応援してくれた人たちががっかりするよ?


みたいな、全くもって意味不明な理屈で泣きつかれている気分でした。
追いすがってくるフェイス・ブク子に無情にも背を向け、退会理由の選択欄で、


「フェイスブックが役に立つと思えない」


を選べば、彼女は、


「さらに多くの友達をリストに追加すれば、より楽しく活用出来ます! 知り合い検索をしてみましょう!」


という文字を「【もっと友達を探す】ボタン」と共に表示し、具体的に別れを回避する手段に出てきました。


――ねえ、せめて理由を聞かせて!


「お前と一緒にいる理由が、もう見つけられないんだよ。お前といると、疲れるんだ」


――そんなこと言わないで! あたし頑張るから! お料理だって、自分磨きだって、結婚したら子育てだって! だからお願い、行かないで……!


まとわりつく彼女の腕を振り払い、


「そういうところが重いんだよ!」


と吐き捨てて(?)利用解除ボタンをクリックすれば、


――いいの? ホントにいいの? あたし、行っちゃうよ! 知らないよ!


最後の意思確認「アカウントの利用を解除しますか?」の文字が表示されました。


「おれが別れたいって言ってるんだよ!」


その執念深さに最後までFB(震え上がるほど・びっくり)させられましたが、どうにかお別れすることが出来ました。


丁度、「成長にかげりが見えるツイッターに対し、フェイスブックは業績が好調」というニュースを読んだばかりだったけれど、その背景にはもしかしたら、この「諦めの悪さ」があったのではないか……と疑うほどです。
山本耕史さんも執念で愛を勝ち得たもんな。さすが蠍座。
ストーカーだの何だの言われてるけど、私、山本耕史さんの情熱は、結構カッコいいと思ってるぞ。
人を愛したらかっこ悪くなっても、泥にまみれても好き! って言わないとね。

何の話ですか。



ちなみに、私も十一月生まれの蠍座です。

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