映画の話「桐島、部活やめるってよ」

元は、2013年7月に書いた感想文。

ブクログのアカウントを持っていたとき、一番たくさん「☆」がついた感想文が、なぜかこれでした。

自分で読み返しても、どこがウケたのか、ちょっとよく解らないんですが、折角なので、加筆修正して残しておきます。


<桐島、部活やめるってよ>


(銀魂で「城島、リーダー辞めるってよ」ってパロられてたのを思い出す)


作者が平成生まれ、つまり学生時代が遠い昔でないということに一番の納得。
これを見てみ、と言ってくれたのも、90年代生まれの子。

「『部活必死な童貞』と『ヤリまくりの帰宅部』のどっちがいい?」

なんてセリフが冒頭で出てくるけど、その両サイドを描き分けるために、もっと広く言えば、高校生の生々しい様子を描くために、「桐島が部活を辞めた」ってきっかけがあるだけ。だから作中に桐島は基本、出てこないんだよね。


この映画を観ると、たぶん、大学生くらいまでの子たちは、割と近い記憶にまだ胸が痛くなったりするだろうし、だいぶ時間が経っちゃった大人でも、もしまだ、人間関係の苦痛さに浸かっている場合は、「解る解る!」ってなるだろうし、それを脱していた場合は「高校生ってこんなかもなぁ」って青春の残酷さに苦笑いするだろう、という、そういう類いの映画かもしれない。



「部活必死な童貞」(もちろん例だから、女の子も含む)は、いわば、“ダサい子たち”で(主演の神木隆之介くんはこっち)、「ヤリまくりの帰宅部」(実際“ヤリまくり”かどうかじゃなくて、これも例え)は、何もかんもダリぃって言って、制服をかっこ良く着崩したり、でかいストラップつけてたりするタイプで、そういう対比を描いた作品は映画だけじゃなくて、ドラマとか漫画とか、多分他にもあるけど、その描き方が秀逸なんだろう。嫌みもないし、同じ時間軸をそれぞれの視点で、平行して描くので、たぶん観客は、その中の誰かに感情移入するかもしれない。

“ダサい”か、“カッコいいか”に、顔の良し悪しは関係ない。
オタクっぽい、暗い、おとなしいと、笑われてる気がする。あるいは本当に笑われてる。



ーー自分は、どっちの高校生だったかなぁ。


というのが、この映画を見とけ、って言ってくれた子の感想だったのだけど、たぶん、この感想に、この映画の本質が凝縮されているんじゃないかと思った。



私は間違いなく、ダサい側の人間だった(笑)(部活必死ではなかったけど)
高校時代って、クラスにとけ込めなかったなぁ。
私の通ってた高校は、いわば「ガリ勉高校」だったし、時代も今とはちょっと違うから、映画ほど、「帰宅部サイド」、即ち「世渡りうまいタイプ」が目立ってたわけじゃない。
けど、それなりにコンプレックスは持っていた。
私は人一倍思春期が遅かったし、「自分のことばかり話したら嫌われるんじゃないか」と思ってビクビクしていたし、同学年には、彼氏彼女がいる人たちもいたけど、自分はそういうのとは無縁だったし。
彼氏彼女以前に、私の場合は、もっと深刻な対人恐怖症に悩まされていた訳ですけれども(笑)(←いまでこそ「(笑)」なんだけど)


高校一年生のときのクラスはちょっと派手め(つまり「帰宅部サイド」)な人が多くて、そこでいきなり友達作りにずっこけた。
二年生ではトップクラス入りしたから、そこには勉強をがんばる子が多くてまだ居易かった。友達も出来たのは二年生のとき。ついでに優しい子も多かった。
それなのに、クラスの子たちに心は開けないままで、そんな悩みにどっぷり浸かってるもんだから、成績がた落ちして、三年ではトックラからはじき出されたという痛い思い出(笑)
そして、その頃の不器用さは、大学に入ってからも引きずった。


でも、この頃のことからは、だいぶ痛みを感じなくなってる。
それはありがたいし、ようやく大人になってきたな、笑い飛ばせるようになったな、と思うけど、でも、そのことが、ちょっとだけ寂しいような気もする。
笑い飛ばせない頃だったら、この映画は頭にくるくらい、痛々しく感じたんじゃないかと思う。
けれど、今の私の“仕事”って、こういう映画を見て、あの頃のことを思い出して、「辛かったなぁ」とか、「ヒリヒリするなぁ」と共感して終わるのではなく、こういうことを思い出して、「誰かの役に立てる」段階に来てるんじゃないかな、とも思う。
それは、純粋に、積み重ねてきた歳の数を考えて。


あるいは。
そういう時代の自分を忘れてた人たちが見て、「高校生ぐらいって、こんなつらさがあったよな」って少し引き戻されて、高校生くらいの子たちの立場に立って、シンクロするのに役に立つ作品でもあるのかもしれない。
忘れちゃうから、慣れてくると、いろんなこと。
私は上記のとおり、記憶鮮明だから(思春期が長かった所為で……)そういう意味では、この映画は必要なかったのかな。「言われなくても、知ってるよーぅ」って。


もちろん、私自身、根本は変わっていない。痛みは感じなくなったのは、「だいぶ」であって、「全く」ではない。人に合わせるのは、今も結構疲れる。
記憶鮮明なのも、大人になりきってないからだろう。
でもそれを無くしたら、私はこの映画をヒリヒリする、と感じる子たちにシンクロすることも出来なくなっちゃうから、いいかな、それは変わらないままで。


それに、それでも元気に生きていけるのは、いろんな人を受け入れられるようになって、好きだとも思えるようになったから。
そして少し納得いかないことにも、理解を及ぼそうと思えるようになったからだ。
この映画を少しだけ突き放して観られたこの距離感は、私が望んでいたとおりのものかもしれない。


ハッピーなエンディングがあるわけでも、心が温まるわけでもない映画だけど、 宏樹(東出昌大)がちょっと最後で涙ぐんじゃうあたりがね、ホッとしたかな。


「一見すると、世の中にうまく合わせているような人たち」が、本音では違うんだ、っていう、 そんな痛々しい苦しさを描く物語は、決して嫌いじゃない。
人間は、見たままの姿がすべてじゃない。
それを頭に入れておくだけで、この世界がずいぶんと優しいものに思えるような気がしてくる。


(2013.7.18)


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